この日は日帰りでホルムスクへ。ホルムスクは日本統治時代は真岡と呼ばれており、サハリン州の中でも州都ユジノサハリンスク、稚内とのフェリー航路のある港町コルサコフに次いで3番目に人口の多い都市です。
まずは駅前のバスターミナルへ向かいます。特に時刻を調べずに行ったところバスターミナルに着いたのが10時過ぎだったので、ちょうど10時発のバスが出発したばかりでした。下の時刻表の通り、だいたい1時間に1本の頻度で運行されているようです。
次の11時発のバスチケットを買った後は、時間つぶしに駅周辺をうろうろ。駅の北側を線路沿いに少し進むと、青空鉄道博物館のようなものがありました。
どことなく見覚えのあるような車体も展示されています。
やはり日本から来た車両のようです。国鉄の中古車両はサハリンでも活躍していたのでした。
こんな変わった形に出てきそうな車両もあります。日本のそれとは随分形体が違いますが除雪車なのでしょうか。
これはいかにも一昔前のロシア国鉄といったカラーリングの車両。学生時代に旧ソ連圏を旅行した時は、この色の寝台列車によくお世話になりました。
再び駅前に戻り、516番バスに乗車。バスといっても小型で定員は20人程度。それでも7~8割の乗車率で出発したので、出発時刻の直前にバスターミナルに着いても満席で乗れないということはなさそうです。
序盤の風景は基本的に平坦。北海道でよく見るような原野が続きます。
中盤を過ぎたあたりから少しずつ山がちになってきます。そして、終戦後の混乱の中でソ連軍と日本軍の激戦地となった熊笹峠を通過。
熊笹峠通過後は一気に標高を下げると、もうホルムスクの入り口。随分とファンキーな看板がお出迎えしてくれました。
街中に入ると所々で人を降ろしながらバスは進みますが、そのまま乗り続けるとバスターミナルで終着。ここで帰りのバスの時刻を念のため確認したら、そのまま町歩きへ出かけます。
まず向かったのは真岡神社の跡地。鳥居などはありませんが、日本人であればこの石段の形からここが神社の跡地であることを想像するのは難しくないでしょう。
もちろん既に神社自体は無く、現在は跡地にホルムスク銀行(банк холмск)のビルが建っています。
それでも、敷地内を見渡せば日本時代の名残もちらほら。
こういった残存物が、ここが70年前まで日本の街だったことを思い出させてくれます。
続いては、ホルムスク解放の戦いで亡くなったソ連兵士の慰霊碑。日本側からすれば民間人も多数亡くなった悲劇のソ連侵攻ですが、ソ連からすれば祖国解放の栄光の歴史ということでしょう。
そのままメインストリートを南へ進むとレーニン広場。ここにもレーニンさんが鎮座しています。
その向かいには現代風のショッピングモールも。
更に先へ進むと、日本人居留者の慰霊碑。
ソ連崩壊後の1995年になって、日本統治時代に日本人墓地があったところに建てられたようです。先ほどのソ連慰霊碑と比べると目立ちませんが、眠っている人の数ではこちらの方が圧倒的なはず。
この慰霊碑はメインストリートから外れた住宅地の中にポツンとあるので、見つけるのは少し大変です。スマホを持っていればグーグルマップに所在地が載っているので何とか見つかりますが、そうでなければたどり着くのは至難の技かもしれません。
慰霊碑から市街地中心部へ戻る途中、王子製紙の真岡工場跡が見えました。戦後も工場はソ連に引き継がれ、ソ連崩壊後の1992年に火災発生で設備が焼失するまで操業していたとのことですが、今では完全な廃墟です。廃墟マニアにはたまらないでしょう。
中心部に戻ってきました。これは港の入り口。ここからはロシア本土のワニノという街までの連絡船が運航しているので、言ってみればサハリンの玄関口のようなところです。
港町らしく、沿岸には貨物用のクレーンが並びます。積んでいる石炭は本土への輸出用でしょうか。
3~4時間の滞在で一通り市内観光は終了。サハリン3位とはいえ人口3万人程度の小都市なので、徒歩で気軽に見て回れる規模の町で、ユジノサハリンスクから日帰りで来るにはちょうど良いと言えるでしょう。逆に、大したホテルもなさそうだったのでここで1泊するのはあまりおすすめできません。