Out of Office サラリーマン週末旅行記録

とあるサラリーマンの週末旅行記&搭乗記。2022年より米国在住。

4~5日目:リベリア〜シエラレオネ 陸路国境越え

モンロビアを1日観光した翌日は、この地を離れて隣国のシエラレオネまで陸路移動。リベリアシエラレオネは共に警官等の公務員が腐敗していることで有名であり、このルートも旅行者の間では"賄賂街道"と呼ばれるほど。なかなかハードルの高そうな行程になりそうです。

目指す目的地は、520km離れたシエラレオネの首都フリータウン。インターネット上の情報では基本的に1日で到達するのは難しいというものが大半なのですが、直近では道路の舗装状況が良くなり所要時間も短くなったという話も聞くので、朝早く出発し行けるところまで行ってみることにします。

ということで、夜が明けると同時に行動開始。赤道に近い割には以外と日の出が遅く、宿を出たのは6:30頃。まずはシェアタクシー乗り場のあるドゥアラ地区へと向かいます。 

ダウンタウンからドゥアラ地区への乗り合いトゥクトゥクが出発するのはBroad Streetと北へ向かうメインストリートの交差点沿いのこの辺り。運賃は100リベリアドル(=約50円)でした。

トゥクトゥクは3人乗りですが、既に2人の先客が乗っていたのですぐに出発。街の風景をiPhoneのカメラで撮影していたら、同乗者のおばちゃんから「ドゥアラ地区は危険だから、そのスマホは到着する前に隠すように」とありがたい助言を頂きました。

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15分ほどでドゥアラ地区のシェアタクシー乗り場へ到着。乗り場と言っても別にバスターミナルのような建物があるわけでも無く、道の脇に各方面へのシェアタクシーが並んでいるだけです。かなり雑然とした様子で、おばちゃんが治安が良くないと言っていたのも納得。あまり長居したい雰囲気の場所ではありません。

幸い、トゥクトゥクのドライバーが国境行きのシェアタクシーの正面で降ろしてくれたので、厄介な客引きに捕まることも無く済みました。特に目印はありせんが、国境行きが発着するのはこの辺り。

アフリカのシェアタクシーには時刻表など存在せず、満席になったら出発というスタイルが普通。この区間は普通の8人乗りセダン(助手席2人、2列目3人、3列目3人。西アフリカでは典型的な詰め込み型。)でしたが、既に大半の乗客が揃っていたため待ち時間もほとんどなく、7:15には出発となりました。運賃は1,500リベリアドル(=約750円)。

私の座席は助手席の内側。狭いのは耐えるしかありませんが、前方の眺めが良いのは助かります。

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モンロビアから国境は全区間舗装されており快適。途中2度ほど検問に捕まりましたが、特に賄賂を要求されることも無くスムーズに通過出来ました。助手席にもう1人乗っていたのが、国境へと向かう出入国審査官だったこともスムーズだった一因かもしれません。

9時過ぎ、モンロビアを出て2時間弱で国境の村、ボー・ウォーターサイド(Bo Waterside)に到着しました。130kmの道のりを2時間で走ったことになり、ここまでは完璧すぎるほどスムーズです。

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そのまま歩いてリベリアのイミグレオフィスへ向かいます。出国スタンプをもらおうとオフィサーにパスポートを渡すと「シエラレオネのビザは?」と訊かれたので、国境でアライバルビザを取得すると回答。

ここでオフィサーの顔が曇り、なにやら他の同僚と相談。こちらは賄賂の要求が出てくるかと身構えます。

そして言われたことは、「日本人にシエラレオネのアライバルビザが発給されるかここではわからない。あなたのリベリアビザはシングルエントリーなので、もしシエラレオネ側でビザが発給されないと、リベリアに再入国することも出来ずに困った状況になる。それを避けるため、今からシエラレオネ側のイミグレオフィスへ確認しに行くので、ここで待っているように。」とのこと。

この国境から出国する人は全員シエラレオネに向かうはずなのに、シエラレオネ側のアライバルビザの対象国も把握していないとはお粗末な気もしますが、とりあえず賄賂要求は無かったので安心。その後15分ほどでオフィサーがシエラレオネ側から戻り、確認が取れたということで無事スタンプを押してもらえました。

その後は別の部屋に連れて行かれ、リベリアでの滞在先等を申告したら無事解放。まずリベリア側の国境は問題なくクリアです。

国境はマノ川(Mano River)に架かる橋。やはり徒歩での国境越えはテンションが上がります。それが難易度の高い西アフリカであれば尚更。

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続いてシエラレオネ側のイミグレオフィス。アライバルビザを取得したいというと、先ほどのリベリア側のオフィサーからの事前の話があったせいか、スムーズにビザ発給となりました。価格は事前リサーチでは80ドルでしたが、国境では現地通貨払いのみということで800,000レオン(=約9,000円)。米ドルから両替すると85ドルほどかかってしまい少し割高ですが、まあ許容範囲です。領収書発行に20分ほど待たされましたが、賄賂要求等は一切無し。

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ちなみに、このシエラレオネ側の国境はつい最近まで有名な賄賂要求の温床でした。

その手口とは、シエラレオネ入国にはイエローカード(黄熱病予防接種証明書)の提示が必要なのですが、それに加えてコレラ髄膜炎の予防接種証明も必要だとでっち上げ、証明書を持っていない旅行者から賄賂(50ドル程度)を要求するもの。

インターネット上でも有名なやり口だったのですが、昨年夏にこの腐敗に遭遇したアメリカ人旅行者が一連の出来事をYouTubeにアップすると、その動画を目にしたシエラレオネ汚職防止委員会(ACC:Anti-Corruption Comission)が、アフリカらしからぬ迅速な行動で該当する国境職員を逮捕。それ以来ここの国境の腐敗状況はかなり改善したようで、私が通過したのは丁度良いタイミングだったわけです。

シエラレオネ側のイミグレオフィスを出たのは10:30。リベリア側と合わせ、1時間半で国境手続きを全て終えることが出来ました。

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国境から一本道を1kmほど歩き、シエラレオネ側の国境の村であるジェンデマ(Jendema)に到着。シェアタクシー乗り場はこの辺りです。この周辺にSIMカードを売る露店や両替商など、旅行者に必要なものはだいたい揃っていました。

フリータウンまで直で行くシェアタクシーもあるにはありましたが、人の集まりが悪そうだったので、ひとまずシエラレオネ東部の中心都市であるボー(Bo)まで行くシェアタクシーのチケットを入手。運賃は75,000レオン(=約850円)。

ここで社会人トラベラーならではの裏技発動。実は、こうしたシェアタクシーは1人で2人分の料金を払うことで、2人で座るはずの助手席を丸々1人で確保出来るのです。学生の頃は1円でも安く済まそうとこんなことはしていませんでしたが、当時よりは懐に余裕のある社会人ならではの選択です。ここから先は悪路との評判のため、更に75,000レオンを追加で支払い、助手席を独り占め出来ることに。

ちなみに、私が2人分購入すればその分だけ満席になるのも早くなり、ドライバーも早く出発できお互いにwin-winなのだから、少し値下げしてくれよとも思うのですが、そうした論理は全く通用せず、定価の2倍を払わなければいけません。西アフリカでは"時は金なり"では無いのです。

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ここではなかなか人が集まらず、1時間ほど待って11:30に出発。

ジェンデマから先の道は、想定通り舗装されておらずこのような状態でした。スピードは出せても時速30km程度といったところです。今は乾季なのでまだマシですが、雨季は路面状態も更に悪くなりもっと時間がかかることは確実。

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エンジントラブルで途中休憩。車を限界まで酷使するアフリカでは、こうしたストップも織り込んでスケジュールを立てないと痛い目に遭います。

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途中すれ違う車は、これでもかというほどの物資を運搬していました。乗用車の屋根の積載重量は何kgなのでしょう。

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ただし、ところどころ舗装に向けた工事は始まっている模様。あと1~2年で、ここもまともな道になることを期待します。

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途中、ジンミ(Zimmi)の村を通過したのが13:00頃。ジェンデマからジンミの区間には検問が無かったにも関わらず、45kmを通過するのに1時間半も掛かりました。

ジンミから先は舗装道路が完成しており快適。

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ジンミを出てしばらく進んだ先に流れるモア川(Moa River)。ここも元来は橋が無く、渡し船に車ごと乗せて渡らなければならなかったのですが、EUの支援で建設された橋が昨年完成し、かなりの時間短縮になったとのことです。同乗者の地元民も橋を渡るときはかなり興奮していたので、本当に完成して間も無いのかもしれません。

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ボーまでの間に検問は3ヶ所ほど。そのうち1ヶ所では乗客全員が車を降ろされ身分証明証チェックを受けさせられましたが、賄賂要求は無し。

ただし、外国人はパスポートを見せるだけですぐに済んだのですが、自国民に対してはオフィサーが身分証を隅から隅まで粗探しをして難癖をつけようとしていたらしく、検問通過後の車内では乗客同士が警官の悪口で意気投合していました。

彼ら曰く、自国民に対しても警官による難癖からの賄賂要求は日常茶飯事だとのこと。やはり相当根深い問題のようです。

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15:00頃、ボーの街に到着。ジンミからボーは110kmほどありますが、検問を含めても2時間ほどの所要時間だったことになります。この区間はずっと舗装道路で快適だったので、ハードモードだったのは実質最初の1時間半のみでした。

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ボーで降ろされたのはこの辺り。逆にボーからリベリア国境に向かう際も、シェアタクシーはここから出発するはずです。

ボーからフリータウンは3~4時間ほどかかるらしいので、頑張ればこの日のうちに行けないこともないのですが、暗くなってからフリータウンに着くのは少し不安なので、この日はボーで1泊することに。街唯一のまともなホテルである、Dohas Hotelに宿泊しました。シェアタクシー乗り場からは、バイタクで3,000レオン(=約30円)。

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朝食付きで1泊540,000レオン(=約6,000円)。部屋にはエアコン、テレビ、蚊帳、冷蔵庫が備えられていました。街から少し離れているので、この晩は部屋でゆっくり過ごします。

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 そして翌日。ホテルのレセプションでフリータウン行きのシェアタクシーはどこで乗れるのか?と訊くと、"New London"との答え。どうやらその名前の地区から出発するようですが、Google Mapで見ても全く引っかかりません。

ホテル前でバイタクを捕まえ、運転手にフリータウンに行きたいというと、それならNew Londonと同じことを言うので、どこだかわかりませんがNew Londonまで連れて行ってもらうことに。

結果、以下の場所がフリータウン行きのシェアタクシーの発着所でした。

バイタクを降りるや、客引き同士の争奪戦。ボロい車から比較的まともな車までピンキリなので、しっかりと吟味します。また、乗客の埋まり具合や、昨日味を占めた助手席が空いているかどうかも要チェック。

結果、今回はそれなりに新しいハイエースの助手席をゲット。40,000レオン×2人分で80,000レオン(=約900円)です。

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ボーとフリータウンを結ぶ道はシエラレオネの大動脈。15分ほどで座席も埋まり、9:00頃に無事出発しました。

座席前の窓ガラスに貼られた国旗はイギリス、シエラレオネアメリカ。英国系の旧植民地ということでイギリスには親近感があるようですし、世界の大国アメリカはやはりアフリカでは大人気です。

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道中に見える民家は本当に簡素なもの。電気・水道・ガスは当然まだでしょうし、下手したら100年前とほとんど変わらないでは無いか?と思ってしまうほど。

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首都フリータウンは、大西洋に突き出るフリータウン半島の先端部にありますが、その半島の付け根にあるのがウォータールー(Waterloo)の町。ブレー(Bureh)やリバーナンバー2(River No 2)等のビーチへ向かう場合は、ここで乗り換えです。12:00頃に通過しました。

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ウォータールーからフリータウンまではずっと市街地。途中で少しずつ乗客を降ろしながら進みます。私が泊まる宿はかなり半島の先端の方なのですが、そこまではシェアタクシーは行かないということで、ドライバーにタクシーを捕まえてもらい、それに乗り換えて移動。

これが首都フリータウンモンロビアに比べると一段と規模が大きい印象です。

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フリータウンの中でも、コンゴタウン(Congo Town)というエリアにある宿Jam Lodgeに着いたのは13:30。これにて1日半に亘る陸路移動も無事完結です。

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宿代の高いフリータウンにおいて、テレビ、冷房、温水シャワー、朝食付きで1泊67.5ドル(=約7,000円)は破格。Booking.comでの評価が高いのも納得の宿でした。

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3日目:モンロビア町歩き 廃墟巡り、外国人居住区

到着した翌日は朝から町歩き開始。ダウンタウンのメイン通りであるBroad Streetから歩き始めます。

まずやって来たのは国立博物館の建物と、その前にある不思議なモニュメント。

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1949年に締結されたジュネーヴ諸条約(戦争時に適用される国際人道法)を手に持ちながら差し出している地球と・・・。

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それに向かって手を伸ばす人々という謎の構図。地球も妙にクオリティが低いですし、イマイチ何を訴えかけたいのかよくわかりません。

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土台を見ると国際赤十字のマーク。一応、ジュネーヴ諸条約50年記念で1999年に第一次内戦の終結を記念して建てられた、しっかりとしたもののようです。ただし、このモニュメントの設置も虚しく、リベリア自体は2003年より第二次内戦に突入することになるのですが。

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2度の内戦を経験したリベリアは、西アフリカの中でもトップレベルの世界最貧困国の一つ。他の西アフリカ諸国同様に大した産業も無いため、内戦後も経済は低空飛行を続け、首都の中心部でさえ廃墟が立ち並びます。

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このビルも一見きちんとしているように見えますが、中はがらんどう。内戦前は立派な映画館のような施設だったことが想像されます。

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そんな数ある廃墟の中でもエース級なのが、ダウンタウン西側の丘の上に位置するこの建物。1960年に開業し第一次内戦前の1989年に閉業したインターコンチネンタルグループのホテルの跡です。

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営業時の名称はDucor Hotel。当時はアフリカ全土でも数少ない5つ星ホテルの1つとして優雅さを誇っていたようです。

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この廃墟の特徴は、他と違い中に入れること。ここを訪れる物好きな観光客もそれなりにいるのか、警備員に少しチップを渡せば、ホテルの敷地内を一通り案内してくれます。

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このホテルにはこちらのサイトに在りし日の写真が残っているので、それと見比べてみて頂けると時の流れがより感じられます。(外部サイト

プールの跡。

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ここがロビーとフロント。エレベーターの跡もはっきりとわかります。

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フロント前には螺旋階段が。今にも崩れないか不安になりますが、なんとか持ちこたえています。営業時は手すりもあったようですが、その残骸らしきものが階段奥に山積みになっていました。

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 続いて上階へ。この階段も亀裂が入っており、崩れるのは時間の問題だと思われます。

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客室フロア。既に草が生え、野生に帰り始めています。床には所々穴もあるので要注意。

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217号室。

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部屋の中にも入って見ましたが、意外と狭かった様子。最安カテゴリの部屋だったのかもしれません。

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9階建ての最上階はレストラン跡。

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廃墟でありながら、現在でもモンロビアで最も高さのある建物のため、ここから見るモンロビアの景色は最高です。街全体を一望。

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ホテルから見て北側にあるWest Pointというエリア(下の写真でいうと左奥)にはスラム街が広がります。

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スラム街に近くのは流石に気が引けるので、ここからズームで撮影。浜辺では昼間から若者たちがウロウロしているようです。

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 ホテル跡のすぐ脇にあるのは、リベリアの初代大統領であるジョセフ・ロバーツの銅像リベリアは、アメリカでのリンカーン大統領による奴隷解放宣言に伴い解放された黒人達がアフリカに帰還して建国した、西アフリカで最も古い独立国家です。当然ロバーツ大統領もアメリカ出身。

このような歴史から、リベリアでは建国以来アメリカからの帰還者(Americo-Liberian)のグループが政治・経済の実権を握り、多数派の先住民族を抑圧するという、黒人が黒人を支配する構造が続いていました。これが結果的に先住民族の反感を買い、1980年代に第一次内戦という悲惨な結末をもたらす引き金だったわけです。

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ランチに立ち寄ったのはMama SusuというTripAdvisorで評判の良かったレストラン。シリア出身、リベリア在住歴30年以上のSusuさんが経営する、ダウンタウンでは唯一と思われるまともなレストランです。

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ここは食事が美味しいことはもちろんなのですが、それ以上に訪れるべき理由はオーナーのSusu。30年前のリベリア内戦時代の話から、かつて存在した日本大使館の職員との交流の話、そして今もシリアに住み続ける家族の話まで、豊富な話題で気づけば2時間以上Susuと話し込んでしまいました。殺伐とした雰囲気のモンロビアの中で、まさにオアシスのような場所です。

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Mama Susuでのランチを終えたら、午後は海岸の方へ。モンロビアの南西部は欧米各国の大使館や1泊200ドル以上という高級ホテルが軒を連ねる別世界でした。このエリアに入る道路には検問が敷かれており、貧困層の黒人はほとんど見かけません。

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その近くにある外国人用スーパーには、驚くほど豊富な品物が並んでいます。表示通貨もリベリアドルではなく米ドルで、リベリア人は全く相手にしていない様子でした。

冷蔵輸送すら難しい国にも関わらず、ヨーロッパ産のチーズや生ハムがズラリ。

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日本食材コーナーもあり、こちらも想像以上に充実しています。日本大使館すらないような国ですが、援助関係者等で日本人の滞在者も多いのかもしれません。

ちなみに、赤いきつね緑のたぬきは5.5ドル、キューピーマヨネーズは8.75ドル、とんかつソースは11.5ドルと、値段は日本の倍以上。

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ただし、日清カップヌードルは0.75ドルと随分お手頃でした。パッケージを見ると、日本で販売しているものとは種類が違う海外向けの商品のようですが。

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暗くなる前にはホテルに帰還。あまりに落差のある二面性を持ったモンロビアの町は、1日歩くだけで色々と考えさせられる場所でした。

 

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2日目:ASKY航空 KP20 アクラ〜モンロビア エコノミー

エチオピア航空で到着後、ガーナには入国せずに制限エリアで国際線乗り継ぎ。アクラの空港はアフリカにしては珍しく、一見きちんとした乗り継ぎ用のカウンターが用意されています。

ビジネスクラスの優先降機のおかげで1番にカウンターに向かうと、スタッフから「そこに座って待っているように」と言われカウンター前のベンチで待機。その後にやって来る乗客は、どんどんボーディングパスを受け取って出発フロアへと進んでいきます。

エチオピア航空からASKY航空への乗り継ぎ客は多い(20人以上はいました。)のですが、どうやら通しで航空券を買った乗客のボーディングパスしか用意していない模様。私は彼ら全員へのボーディングパスの受け取りが終わった後にやっと手続きをしてもらえました。

ここのカウンター、しっかりしているように見えて実はチェックインシステムにアクセス出来るパソコンは無い様子。スタッフにパスポートを渡すと、彼女が制限エリア外のチェックインカウンターまで行って代理で手続きをしてくれるという流れなのでした。予め乗り継ぎ客として登録されている通しの乗客以外は、手続きに少し時間がかかると思った方が良さそうです。まあ、アクラで国際線乗り継ぎをする人など相当な物好きしかいないと思いますが。

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パスポートを渡したスタッフは10分ほどでボーディングパスを手に戻って来て、私も乗り継ぎ手続き終了。なぜかアサインされた座席は事前指定していた11Aとは全く違う31Dという番号でしたが、またこのスタッフにカウンターまで足を運ばせるのも申し訳なかったので、とりあえずそこは触れずに受け取りました。

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そのままカウンター右の扉から上階に移動すると、保安検査を通り抜けて出発ゲート前です。

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1年ちょっと前に利用した時は新ターミナルがオープンしたばかりで商業テナントはほぼガラガラだったのですが、今では一応ショップは埋まりました。

ラウンジは相変わらずシャビーな裏通路からのアクセス。

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前回も使ったADINKRA Loungeに再び。今回はエコノミークラス搭乗なので、プライオリティパス利用での入場です。

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フード類の貧弱さは相変わらず。

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冷蔵庫の中は、サラダなど少し種類が増えました。ただし、ここの生野菜がどれだけ信頼できるかは・・・。

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遅延上等の西アフリカ域内線ですが、搭乗機材は予定通りにゲートに姿を現しました。ASKYのハブであるトーゴのロメ空港を出発し、アクラ、モンロビアを経由してガンビアバンジュールまで行く、アフリカでよく見る各駅停車便です。

機材はASKYが所有している中では最大のB737-800。

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搭乗。モノクラスかと思いきや、ビジネスクラスの設定もある機材でした。ビジネスに座っていたのはどこかの国のお偉方と思われる貫禄のある黒人男性1名のみ。

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エコノミーのシートも、なかなかのくたびれた感。個人モニターもありますが、画面は真っ暗で全く作動しません。

レジ番から調べたところ、2009年就航でインドのジェットエアウェイズに納入され、ジェットエアウェイズの破産後にASKYが引き取ったという経歴のようでした。まだ10年選手ですが、これだけ摩耗しているのはやはりインド人の物使いの荒さ故でしょうか。

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ちなみに、なんと搭乗券に書かれた31Dという座席は存在すらせず。通路左側はA・B・C、右側はH・K・Lという配置だったのです。機内では混乱する乗客が続出でしたが、結局D→H、E→K、F→Lと読み替えて着席。幸い隣2席には誰も来ず、ドアクローズ後は窓側の席に移ることが出来ました。

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アクラ市街上空を旋回しながら上昇。全体的に曇ったように見えるのは、アクラにスモッグがかかっているというわけではなく、ASKYの窓掃除がほとんど為されていないからです。

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離陸後は機内誌にでも目を通します。タイトルは"CALEBASSE"(英:Calabash、日:ひょうたん)。随分不思議なネーミングです。

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やはり気になるのは路線図。トーゴのロメをハブとしていますが、経由便が多いので西アフリカ内では網の目のような路線網を構築できています。

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そして機材構成。B737-800、B737-700NG、Bombardier Dash 8の3種類。B738の座席数の記載が英語とフランス語で違うあたりにアフリカらしい詰めの甘さが出ています。

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2時間弱のフライトなので、機内食もきちんと配られました。Fish or Chickenというベーシックな選択からChickenをチョイス。

ちなみに、前の列に座っていた中国人が全く英語を解さないらしく、Fish or Chickenさえ理解出来ていなかったのですが、クルーが私に対して通訳をしろと言わんばかりの目で見てくるのには困りました。私も中国語はサッパリなのでお役には立てず。

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モンロビアに到着。定刻で優秀です。

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この空港、中国政府の融資を元手に中国企業の施工で2019年に新ターミナルがオープンしたばかりなのですが、工事が杜撰だったのか、開業して数ヶ月でボーディングブリッジが動かない、エレベーターが崩落すると言った不具合が立て続けに発生しているお笑い空港として有名。その話は本当だったらしく、当便もボーディングブリッジが空いているにも関わらず沖留めとなりました。

賄賂大国なので空港では写真も撮らずに目立たないようにしていたのがよかったのか、入国審査でも賄賂要求は無くあっさり通過。荷物受取場の先はすぐ外に出る流れになっているので、外に出た先でSIMカードを購入し、事前にアレンジしていた送迎と合流して市内へ向かいました。

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モンロビアの空港は、なぜ土地が有り余っているのにこんなに遠くに建設したのかと、リベリア役人を呪いたくなるほどの不便な立地。市街中心部までは60kmも離れており、幸い道路は舗装されているとはいえ、車で1時間はかかります。

途中賑やかな市場等も通ったのですが、3フライトを乗り継いだ疲労もピークに達しており、寝落ちしないようにするので必死でした。

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2日目:エチオピア航空 ET921 アディスアベバ〜アクラ ビジネス

成田発の便から降機したあと、乗り継ぎ時間が短いため直接バスに乗せられ連れて来られたのは、アクラ行きの機体の真後ろ。後ろの扉に接続された細いタラップからの搭乗です。

アディスアベバ経由は初めてだったのですが、エチオピア航空のラウンジは疎か、ターミナル内にすら入ることなく乗り継ぎを終えてしまいました。

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この区間の機材はA350-900。成田便のB787-9に続き、2便続けて最新機材に乗ることが出来たのはラッキーでした。

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最後尾から搭乗したので、ビジネスクラスの区画はずっと先の方。まだ前方のボーディングブリッジからの一般搭乗も終了しておらず、人の流れに逆行しなはら前へと進んでいきました。最新機材らしく、エコノミーでもモニターは随分と高解像度のものが導入されているようです。

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やっとたどり着いた1Lのシート。エコノミーは満席とのことですが、ビジネスの搭乗率は5割以下でした。隣も空席で快適です。

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席に着いてもしばらくはまだ荷物の搭載が終わらないのか動き出さず。結果的にはこれならビジネスの優先降機と専用バスを使えばターミナルを経由しても乗り継げた気はしますが、とにかく間に合ったので一安心。

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ウェルカムドリンクはシャンパンもありましたが、朝なのでオレンジジュースを選択。

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この便でも再びアメニティポーチが配られました。

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エチオピア航空のポーチは便利な壁掛け型。中身は大したものが入っていませんが、ポーチは他の場面で役立つ機会がありそうです。

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定刻から30分ほど遅れた9:15頃に出発。エチオピア航空アディスアベバをハブとして見事なまでの乗り継ぎ用スケジュールを構築しており、ズラッと駐機していた機体も、この朝の時間帯には次々とアフリカ各地へ飛び去って行きます。

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離陸。アディスアベバの街を一望です。

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離陸後すぐに機内食メニューが配られました。表紙にはシミもあり、何度も再利用していることが伺えます。

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メニューはランチ。成田便には無かったエチオピア食というのが気になります。どうやらエチオピア発の便限定のようです。

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まずはスナックのみが配られました。

この後すぐに食事のサーブかと思いきや、いつまでも始まらないのでクルーに聞いてみたら、食事はエチオピア時間の昼食時刻に合わせて離陸の2時間半後とのこと。前便で朝食を摂ったばかりなので食事が後ろ倒しになること自体は歓迎なのですが、それならそうとメニューを配る時に一言欲しかったところです。

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離陸後は南スーダン中央アフリカ、チャドなど、とてもじゃないですが旅行は出来ないような不安定国の上空を飛んでいきます。中央アフリカの上空あたりでやっと機内食の時間になりました。エチオピア時間で11:30、ガーナ時間で8:30頃です。

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前菜はメニュー上は2種類から選べるようでしたが、クルーが問答無用で持って来たのはサーモン。元々これにしようとしていたので問題ありませんでしたが、もう一方の選択肢がそもそも搭載されているのかは謎です。

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メニューの構成上は次がメインのはずですが、その前にエチオピア食のカートが回って来ました。様々な付け合わせをインジェラという酸味のあるクレープと一緒に食べるようです。

インジェラと言えばバックパッカー界隈では世界でも一二を争うマズい料理ということで有名。私も恐る恐る食べてみましたが、さすがに機内食と言うことでエチオピア人以外にも食べやすい味にしてあるのか、美味しく食べることが出来ました。

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インジェラだけでも十分な量でしたが、その後にメインがやって来ます。白身魚を選びましたが、満腹なせいで半分ほどしか食べられず。エチオピア食か通常食はどちらかで十分です。

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最後のデザートは気合いで。ちなみに、チーズやフルーツも選べるのですが、フルーツを選ぶとカットされていないバナナやリンゴがそのまま配られるようでした。

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食後にお茶と一緒に箱入りチョコレートがもらえるのは前便と一緒。

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その後、到着前にガーナの入国カードが配られます。私のように乗り継ぎのみの場合は記入不要。

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アディスアベバからアクラまで、アフリカ域内をほぼ一直線のルートですが、距離にして約2,700マイルと東京〜ホーチミンと同等。赤道近くに位置するので、世界地図で見るとそこまで大きく見えませんが、やはりアフリカ大陸は巨大です。

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ガーナの隣国・トーゴの首都ロメが眼下に見えたあたりから降下開始。

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そして相変わらず赤土が目立つアクラ。

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アクラ空港に到着。2018年夏以来1年半ぶりにこの空港に戻って来ました。当時はまさか再び訪れることになるとは思いませんでしたが。

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コックピットの窓が特徴的なA350の機体ともお別れ。最初の目的地のリベリアまではあと1フライトです。

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2日目:エチオピア航空 ET673 仁川〜アディスアベバ ビジネス

仁川空港に到着後に一旦降機させられ、まずは一度ターミナルへ。乗り継ぎ用の保安検査へと向かう通路の手前には韓国人スタッフが待ち構えており、アディスアベバ行きはこちらという案内がされていました。

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その後、保安検査場の手前で別のスタッフに名前をチェックされ、仁川から先のボーディングパスも新しいものと交換されます。そして保安検査を越えて出発フロアへ。

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待ち時間はアシアナ航空のラウンジが利用可能なはずですが、すぐに搭乗が始まるせいか、スタッフからは直接ゲートに向かうように指示されました。まあ仁川のアシアナラウンジは大したことも無いので、大人しくゲートへ。

ちょうどクルーが機内へと乗り込むところでした。成田〜仁川と仁川〜アディスアベバ間はクルーも交代します。

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先ほどまで乗っていた機材。通常はこの路線はB787-8が投入されていますが、この日はB787-9が入っていました。年末年始のピークシーズンだからでしょう。

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搭乗開始で再び機内へ。毛布やペットボトルも綺麗に再セットされていました。

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アメニティは成田〜仁川間では機内に放置していったのですが、持ち帰っていたらここでもう1セットもらえたのかもしれません。まあ、そんなに数多く欲しいものでもありませんが。

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ウェルカムドリンクのシャンパン。プラカップではなくきちんとしたグラスです。

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結局ゲートを離れたのは定刻より30分遅れの0:50。アディスアベバでの乗り継ぎが80分とタイトなのですが、これならギリギリ間に合いそうで一安心です。

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離陸。

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離陸後は機内食のメニューが配られるのですが、何かおかしいと思ったら上部には"ADDIS ABABA to SEOUL"の記載。往路便のメニューを配っているようです。クルーに伝えたところ、急いで回収となりました。

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そして配られたのがこちら。ソウル〜アディスアベバ区間も東京〜ソウル間と同様、一食目はHot Light Meal=軽食の扱いです。

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そして到着前の朝食。最近流行りのオンデマンドメニューはエチオピア航空では採用していないようです。

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ワインはシャンパン1種、赤4種、ポート1種。

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更に白が4種。ビジネスクラスとしてはかなり豊富なラインナップと言えるでしょう。

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その他のアルコールはまあこんなもの。

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日本・韓国時間の深夜1時半頃から食事がスタート。眠くなってくる頃合いですが、エチオピア時間では19時半とちょうど夕食の時間なので、時差ボケを防ぐ意味でもきちんと食事は摂るようにしました。

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メインはビーフヌードル。エチオピア人クルーもアジア系のメニューには慣れていないのでしょうが、麺も解れていないですし、プレゼンテーションも含めてかなり残念な仕上がりでした。

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デザートはチョコレートケーキ。これは間違えようがありません。

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最後は緑茶でシメ。箱入りのチョコレートも配られました。

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食事が終わったのはこのあたり。食事を終えても到着まではまだ11時間もあるという、かなりの長距離線です。

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映画のラインナップもまあまあ。アジア映画は全部で14種類あり、中国10作、韓国2作、日本2作でした。ここでも中国市場重視の姿勢が出ています。

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食後は就寝し、目が覚めたのはアラビア半島からソマリア沖へと差し掛かるあたりでした。到着まで残り2時間なので、9時間もの間熟睡したことに。座席に敷くマットレス等はありませんが、やはりフルフラットはよく眠れます。

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外はまだ夜明け前。西へ向かう航路なので長い夜になりました。

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ソマリア沖で朝食開始。まずはシリアル、ヨーグルトにパンと欧米風の内容です。

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食事中に日の出を迎えました。

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メインは3択の中から一番失敗しなさそうなパンケーキを選択。プレゼンテーションは散らかっていますが、味は期待通りです。

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期待はアデン湾を進みアディスアベバへと向かいます。イエメンとソマリア中南部の上空は飛行出来ないでしょうから、このルートしか飛ぶ場所がありません。

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ソマリランド領からアフリカ大陸へ。

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アディスアベバ上空。想像以上に発展している街並みでした。

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アディスアベバ空港に着陸。見渡す限りのエチオピア航空の機材が並ぶ様は圧巻。

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 遅延は飛行中にも少し拡大し、駐機場に着いたのは定刻より35分遅れの7:55。しかもバスゲートでした。

乗り継ぎ便のガーナ行きの出発は8:40なのでどうなるのかと思いきや、降機する際にタラップの下にスタッフが構えており、アクラ、ケープタウン、ナイロビ、ヨハネスブルクエンテベ行きはターミナルへ向かうバスに乗らずにここに残るようにとの指示。

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時刻表上は、ケープタウン行とナイロビ行が8:15発、エンテベ行が8:30発、ヨハネスブルク行とアクラ行が8:40発。どうやら出発時刻が迫っている乗り継ぎ便の乗客だけ別枠で連れて行ってもらえるようです。

結果、ビジネスクラスによる優先降機の意味は無く、タラップ脇で全員の降機を待つことに。タラップの反対側では日本人ツアーガイドが何人もサインボードを手に持ち、自分のツアー客を待ち構えていました。

「ガーナ・トーゴベナン3カ国周遊」「アフリカの小国エリトリアジブチザンジバルの休日」など、そんなツアーがあること自体が驚きですが、最近の中高年のみなさまは欧州やアジアでは物足りなくなってしまっているのでしょうか。

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全員の降機が終わりターミナルへと向かうバスが出発したあと、2台のバスがやって来ました。行き先別にそれぞれのバスに分乗するように告げられ、ターミナルに入ること無くそのまま次の機体へと移動です。

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1日目:エチオピア航空 ET673 成田〜仁川 ビジネス

この日は久しぶりに成田空港第1ターミナルからの出発。仕事納めの後に、そのまま東京駅からバスに乗ってやってきました。

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クリスマスも過ぎて空港はお正月モード。

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エチオピア航空のチェックインは特段混雑しておらず、すぐに終了。今回の旅程はアディスアベバ経由でアクラまで行った後に別切り航空券のASKY便でリベリアへと乗り継ぐルートでしたが、ASKY便のチェックインはここでは出来ませんでした。

ファストトラックを使ってサクッと出国。

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出国後はラウンジへ。エチオピア航空スターアライアンスに加盟しているためANAとユナイテッドが利用可能ですが、ANAは夜の時間帯にホノルル行きA380が2便連続出発でラウンジ混雑必至のため、ユナイテッドクラブを使うことにしました。

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まずはシャワーでリフレッシュ。トイレにウォシュレットが付いていなかったり、全体的に無骨な造りにアメリカらしさが現れている気がします。

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シャワールームは10室以上。この時間帯のユナイテッドクラブは利用客も少なく閑散としているため、待ち時間無しですぐに利用出来ました。

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ちなみに、利用者が少ないせいか、シャワールーム近くのビュッフェコーナーは既にクローズ済み。

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反対側のビュッフェは辛うじてオープンしていました。ただし、食事の種類はこれに加えてホットミールが数種類ある程度です。まあ、米系ラウンジなのでそもそもミール類には期待するだけ無駄でしょう。

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ラウンジ自体はかなり広々とした作りでした。きっと夕方の北米〜東南アジア乗り継ぎ便の発着時間帯はアメリカ人で混雑するのでしょう。

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エチオピア航空の出発ゲートへ。年末の出国ピークということもあってかアフリカ系の人々の姿は少なく、日本人が乗客の大半を占めているようです。アディスアベバ行きですが、仁川までの以遠区間のみの搭乗も可能なので、韓国が行き先の人もそれなりにいると思われます。

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ボーディングパスに記載された予定時刻より20分ほど遅れて搭乗開始。ビジネスクラスは2-2-2の配列です。

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シートは色々な航空会社でよく見るタイプのもの。2-2-2の配置でフルフラットにはなりますが、窓側の座席はダイレクトな通路アクセスが確保されておらず、かなり詰め込み感のある仕様です。

AA、QR、TG等、最近搭乗した同シートの便では、中距離線(及び重要度の低い路線)用として導入されており、各航空会社共に長距離の主要路線にはよりグレードの高いシートを採用しています。それに比べると、このシートを長距離路線用として採用しているエチオピア航空は、ハード面で劣っている感は否めません。

座席に着くとウェルカムドリンクのサービス。シャンパンを貰いました。

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パーソナルモニターは解像度も十分。最初のWelcome画面でこれだけの言語がありながら日本語が無いのには少し驚きました。

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選べる言語は英語、アラビア語、中国語、フランス語、アムハラ語(エチオピア公用語)、ポルトガル語。日本語が無いのは仕方ないとして、ポルトガル語があるのは興味深いところです。

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その後、季節柄メリークリスマスのメッセージが10以上の言語で順番に表示されるのですが、これも日本語は無し。アジア言語だと中国語、タイ語ヒンディー語は確認出来たので、こうした面からもエチオピア航空における日本路線の重要度の低さがわかります。

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安全ビデオはクルーが水着で踊ったりする、少し意外なテイスト。エチオピアは保守的なお国柄かと思っていたのですが、案外そうでもないのかもしれません。

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離陸。冬は空気が澄んでいるので、東京の夜景もくっきりと見えました。

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東京からソウルの区間でも、機内食はしっかりサーブされます。一応"軽食"(Light Meal)とはなっていますが、前菜・サラダ・主菜・デザートで構成されており、主菜は3種類から選択可能です。日系のソウル線が機内食は1択しか無いことを考えると、かなりの気合の入れよう。

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今回はチキンを選びました。メニューには書いていませんがキムチとコチュジャンが付いてきたので、仁川で搭載した機内食のようです。この後仁川を出た後も再び食事がサーブされるので、ここでは完食せず半分程度に抑えておきました。

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デザートはラズベリームースケーキ。これは小さいのでペロリと。

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フライトマップを見てみて気になったのが、"Dokdo"(独島)と"EAST SEA"(東海)の表示。韓国のロビー活動の成果でしょうか。韓国系キャリア以外でこのような表示がされているのは初めて見た気がします。

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結局搭乗時の遅れをそのまま引き継ぎ、定刻より20分の遅延で仁川空港に到着しました。アディスアベバまでの通しの乗客も、ここで一旦降機させられます。

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2020年1月 西アフリカ旅行 ビザ取得編(リベリア・シエラレオネ・ギニア)

今回の年末年始の旅先は再びの西アフリカ。アフリカはビザ無しで渡航できる国が限られているため、今回もまずはビザを取得するところからスタートです。

 

リベリア

東京のリベリア大使館で取得。アフリカの小国の大使館というとマンションの一室というケースもある中で、こちらは港区白金という一等地に構えています。国旗はアメリカ合衆国のものと瓜2つですが、紅白の縞の数(アメリカ:13、リベリア:11)や左上の星の数(アメリカ:50、リベリア:1)が違います。

どことなく見覚えのある建物だと思っていたら、2013年まではベラルーシ大使館として使われていた建物でした。2009年にベラルーシを旅行した際にビザ申請で訪れていたので、記憶に残っていたようです。

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玄関を入ると迎え入れてくれるのはジョージウェア大統領の肖像写真。

私は世代的にリアルタイムでは知らないのですが、1990年代にACミランで活躍してバロンドールも受賞、日本でも"リベリアの怪人"というニックネームが付くほど有名な世界的サッカー選手だったそうです。

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ベラルーシ大使館だった当時はビザ受付は1階の小部屋で行われていた記憶がありますが、リベリア大使館となった現在は2階の応接間のようなところに通されました。応対して下さるのは日本人スタッフの女性です。

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申請書類は一応大使館HP(リベリア大使館オフィシャルサイト)で確認可能ですが、少しわかりづらいので注意が必要です。実際に必要だったのは以下の通りでした。

  1. パスポート(原本)
  2. 黄熱予防接種証明書(コピーでも可)
  3. 写真2枚(サイズ指定は厳しくなく、ビザ申請書右上の空欄に貼れる程度の大きさであれば可)
  4. ビザ申請書(HPには必要部数が書いてありませんが、2部必要)
  5. 銀行口座残高証明(通帳コピー又はオンラインバンキングの残高画面の印刷で可)
  6. 日本での勤務先からのレター(1部)
  7. ビザ費用振込証明(ATMのレシートで可)
  8. ホテル予約確認書(Booking.comの予約完了画面の印刷で可)
  9. リベリア発着航空券のコピー(発券前の予約確認画面の印刷で可)

大使館HPの申請書類一覧に記載されている"LETTER OF INVITATION FROM LIBERIA WITH THE NAME OF A CONTACT PERSON..."は、個人旅行の場合は8番と9番で代替可でした。また、今回私は空路入国、陸路出国だったので復路のリベリア発の航空券はありませんでしたが、Wordで作った自作の旅程表の提出で問題ありませんでした。

ちなみに、特徴的だったのが6番の勤務先からのレター。プライベートの旅行だと主張したのですがこれは絶対に必要だということで、所属先に発行してもらいました。今までに観光目的でこんな書類を要求されたことが無かったので少し驚きです。無職だったらどうなるのでしょう。

ちなみに、費用は8,000円(+振込手数料)で事前に指定口座に振込。振込人名を英語アルファベットで記入しないといけない点は要注意です。

申請後、3営業日で無事受け取ることが出来ました。ビザはスタンプ形式です。

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シエラレオネ

シエラレオネはこの3国の中で唯一駐日大使館が無く、従前はオンラインでの旅行代理店を通したビザ申請というのがノーマルなパターンだったのですが、ちょうど良いタイミングで2019年9月よりアライバルビザの発給が始まるとの通知がありました。

まだこの制度が始まって時間も 経っておらず、どの程度国境で周知されているのかは不透明でしたが、結果的にはリベリアとの陸路国境において問題無く取得出来ました。

費用は上述の観光局ホームページによると80米ドルとなっていますが、国境での取得は現地通貨のみで800,000レオン。旅行時のレートは1ドル=9,800レオン程度だったので、少し割高ですが気にならない程度です。レシートもきちんと発行してもらえます。

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ギニア

こちらも東京の大使館で取得。渋谷駅から徒歩15分ほどのところにあり、ギニアの国旗と看板が無ければ、ただの民家と間違えてしまうような見た目の建物です。

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ギニア大使館はホームページ等が無く、ビザ申請費用、必要書類等は電話で問い合わせてみないとわからないという不親切な仕様です。私も大使館に電話をかけてみた結果、必要書類は以下ということでした。

  1. ビザ申請書2部(メールでPDFを送ってもらえます。)
  2. 写真2枚(4.5 x 3.5指定)
  3. ホテル予約確認書(Booking.comの予約完了画面の印刷で可)
  4. ギニア発着航空券のコピー(発券前の予約確認画面の印刷で可)
  5. 英文身元保証書(日本在住の家族による署名が必要)
  6. 黄熱予防接種証明書(原本)

そしてビザ費用は15,000円。なかなかの高額ですが、ビザを取得しないことには入国できないので選択肢はありません。

こちらも申請時に対応してくれるのは日本人スタッフ。書類さえ整っていればすぐに受付してもらえます。受け取りについても通常は3営業日後となっていますが、急ぎであれば翌日等、フレキシブルに対応してもらえそうな印象を受けました。

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ビザはシール形式。フランス語しか書いていないのでわかりづらいですが、ギニアビザはたまに書き間違いがあるという話も聞きますので、入国回数、滞在日数、有効期間がきちんと記されていることを確認しましょう。

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