Out of Office サラリーマン週末旅行記録

とあるサラリーマンの週末旅行記&搭乗記。2022年より米国在住。

4日目:オーロラ航空 HZ4536 ユジノサハリンスク〜新千歳 エコノミー

バスで空港に到着。

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当然この真ん中のメインエントランスからターミナル内に入りたくなりますが、実はこちらは国内線用。特段表示が無いので私も最初はここから入ってしまい、新千歳便のチェックインカウンターが見つからずに困りました。

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確かに出発便一覧を見ると札幌行き以外は全て国内線。国際線は日本線と韓国線くらいで、1日1~2本くらいしか飛んでいません。

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そんな国際線の入り口は、空港ビルの左端にあるこの職員用通用口のような小さな扉でした。これは事前に知っておかないと絶対に間違えます。

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中に入ると税関検査場がまだ閉まっており、その手前の狭い待合スペースに札幌便の搭乗予定客が待たされていました。椅子もほとんど無い待合スペースでひしめき合うように待ち、結局出発予定時刻の1時間半前になってやっと税関検査場がオープン。ユジノサハリンスク発の国際線に乗るときは、あまり早く空港に着くのは避けた方が良さそうです。

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税関検査場を越えた先にはチェックインカウンター。カウンターは1つしかオープンしていませんが、税関が開いて一斉に乗客が流れ込んで来るので、あっという間に長蛇の列になりました。それでもカウンターの捌きは早く、そんなに待たずにチェックイン完了。事前座席指定が出来なかったのですが、しっかり窓側を確保してもらえました。

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出国審査を越えて制限エリアへ。まあ想像は出来たことですが、小さな免税店とカフェが1つあるだけという、非常に簡素な設備しかありません。

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一応ビジネスクラスもありますが、新千歳行きの機材はモノクラス運航のため閉まっていました。

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窓の外を見ると、最後の最後で良い夏空です。

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定刻で搭乗開始。バスで機材まで向かいます。

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この便の機材はボンバルディアのプロペラ機。日本に就航している国際線定期便でプロペラ機なんてそうそうありませんから、なかなかレアな経験です。

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Аврораは思わずアブポパと読みたくなってしまうところですが、これはキリル文字ラテン文字に直すとAvroraなので、オーロラが正解です。

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小さな空港なので滑走路の順番待ちも無く、あっという間に離陸。

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今回も往路のフライトと同様に、宗谷海峡稚内にかけては雲が広がっており、地上の景色は確認出来ませんでした。

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機内誌でオーロラ航空のルートマップを確認。もともとウラジオストク航空とサハリン航空という2つの地域航空会社が合併して出来たという経緯があるだけに、やはり極東ロシアに豊富な路線を持っています。国際線は日中韓の3カ国に就航。

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ユジノサハリンスク〜新千歳は羽田〜伊丹とほぼ同距離という短さなので機内食の提供は無く、ドリンクサービスのみでした。それが一周すると、もう新千歳に向けて降下を開始。

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新千歳に到着する便に乗ることなんて滅多に無いので、外国の空港に降りるかのような見慣れない景色です。

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無事到着。プロペラ機だとボーディングブリッジを付けようもないので、ここでもバスゲートでした。

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地上でのハンドリングはJALに委託しているよう。

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新千歳の入国審査場は、日本人用ゲートが3つに対して外国人用ゲートが10以上。しかも外国人用の方にだけ何やら自動の機械もあるようでした。中国・韓国・台湾や東南アジアでは北海道の人気が急上昇中ということで、それに空港側もしっかり対応している様子が伺えます

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到着ロビーに出てすぐのところにあるツーリストインフォメーションも、当然中国語、韓国語等に対応。

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そして、新千歳ならではの設備が到着ロビー脇にあるこの更衣室。台湾や東南アジアから来る観光客は、冬場は特に出発地との気温差が激しいですから、到着後にゆっくり身支度できるスペースがあるのは便利なことでしょう。

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4日目:ユジノサハリンスク滞在 (3) 日本人墓地、自由市場

この日は早くも帰国日。フライトは午後なので、午前中に最後の市内散策に出かけます。

まず最初の目的地は日本人墓地。街の外れの方にあり中心部から歩いて行くには遠いので、バスで向かいます。

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先日と同様にスマホを駆使して最寄りまで行くバスを検索。結局76番に乗っていくことにしました。空港に乗り入れていたバスと違い、小型のバンのような車体です。

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スマホの地図アプリで位置情報を確認して、墓地に近づいてきたあたりで下車しました。

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バス停の向かいにあったのは、あのハンバーガーチェーン、、、ではありません。

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墓地へのアクセスはこのタワーが目印。これが見えたらバスを降りれば、だいたい近くには着いているはずです。

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墓地の入り口に着きました。日本人墓地といっても、それだけで独立した墓地を形成しているわけではなく、市民墓地の一角に間借りしているというのが正しい表現。

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入ってすぐのところには立派なハングルの墓石が。韓国系の墓地でしょうか。

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さらに中に入っていくと、林の中に個人のお墓が点在しています。曇っていたこともあり、ちょっと不気味な雰囲気。

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各個人の区画内の手入れは親族に任されているのか、きれいに草刈りをしているところもあれば、雑草が生え放題で墓石が半分隠れているようなところも。

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ちょうど草刈りをしている人も見かけました。やはりご先祖様のお墓を綺麗な状態に保ちたいというのは民族は違えど基本的には共通の感覚のようです。

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そして、入り口から5分ほど歩いたところに日本人墓地を発見。ありがたいことに、草むしりもされており非常に綺麗な状態でメンテナンスされています。

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中心に建つのは日本人死没者合同墓碑。花も手向けられています。

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隣には平和観音像。

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これは2016年に建立されたばかりと、まだ新しいようです。

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左に建つ小さな墓石には昭和2年の文字。これは戦前のもののようです。

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きちんと手を合わせてから日本人墓地を後にして、再び市街地へ。ついにサハリン最終日にしてやっと青空が見えてきました。

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アパートの壁にソ連のシンボルである鎌と槌を発見。日本で日の丸や旭日旗の紋章を外壁に取り付けたアパートがあったりした日には話題になること確実ですが、ここはロシアですから。

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市街地北側には、いくつか日本統治時代の建物が残っています。こちらは王子製紙の旧豊原工場。廃墟になったホルムスクの工場と違い、こちらはまだ何らかの形で工場として運営はされているようでした。

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そして、日本統治時代に架けられたという橋。

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確かに欄干のあたりの造りには日本らしさが出ているでしょうか。戦後も長い間現役で活躍していたようですが、現在は隣りにより幅が広く頑丈な橋が架けられ、現在は役目を終えています。

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最後は自由市場へ。ユジノサハリンスクの台所とも呼べそうなところで、基本的な食材は全てここで調達できます。

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朝鮮系の住民が多いので、キムチ等も販売しているのが他のロシアの都市との違い。

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隣接してモールのような建物もありますが、中に入ると随分ローカル感がありました。建物内が細かい区画に分かれ一つ一つの区画に個人商店が入居しているので、モールというよりは商店街といったような感じ。これはロシアの地方都市でよく見かける方式です。

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資源景気を反映してか、更なる新しいモールも建設途中でした。こちらはブース区分けではなく近代的なモールになるのでしょうか。

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空港に向かう前に、自由市場内のウズベク料理店で最後の食事。個人的に中央アジアの料理は好きなものが多いのですが、ロシアに来ると中央アジア各国からの出稼ぎ移民が多いこともあってどこの町に行っても中央アジア料理の店がたくさんあるので、それも楽しみの一つです。

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食事を終えたらホテルに戻って荷物をピックアップし、バスで空港へ。空港へ向かう道中で、なんとセブンイレブンを発見しました。パクリにしては随分精度が高いですが、セブンイレブンはいつの間にサハリンに上陸していたのでしょうか。

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3日目:ホルムスク日帰り観光

この日は日帰りでホルムスクへ。ホルムスクは日本統治時代は真岡と呼ばれており、サハリン州の中でも州都ユジノサハリンスク稚内とのフェリー航路のある港町コルサコフに次いで3番目に人口の多い都市です。

まずは駅前のバスターミナルへ向かいます。特に時刻を調べずに行ったところバスターミナルに着いたのが10時過ぎだったので、ちょうど10時発のバスが出発したばかりでした。下の時刻表の通り、だいたい1時間に1本の頻度で運行されているようです。

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次の11時発のバスチケットを買った後は、時間つぶしに駅周辺をうろうろ。駅の北側を線路沿いに少し進むと、青空鉄道博物館のようなものがありました。

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どことなく見覚えのあるような車体も展示されています。

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やはり日本から来た車両のようです。国鉄の中古車両はサハリンでも活躍していたのでした。

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こんな変わった形に出てきそうな車両もあります。日本のそれとは随分形体が違いますが除雪車なのでしょうか。

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これはいかにも一昔前のロシア国鉄といったカラーリングの車両。学生時代に旧ソ連圏を旅行した時は、この色の寝台列車によくお世話になりました。

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再び駅前に戻り、516番バスに乗車。バスといっても小型で定員は20人程度。それでも7~8割の乗車率で出発したので、出発時刻の直前にバスターミナルに着いても満席で乗れないということはなさそうです。

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序盤の風景は基本的に平坦。北海道でよく見るような原野が続きます。

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中盤を過ぎたあたりから少しずつ山がちになってきます。そして、終戦後の混乱の中でソ連軍と日本軍の激戦地となった熊笹峠を通過。

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熊笹峠通過後は一気に標高を下げると、もうホルムスクの入り口。随分とファンキーな看板がお出迎えしてくれました。

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街中に入ると所々で人を降ろしながらバスは進みますが、そのまま乗り続けるとバスターミナルで終着。ここで帰りのバスの時刻を念のため確認したら、そのまま町歩きへ出かけます。

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まず向かったのは真岡神社の跡地。鳥居などはありませんが、日本人であればこの石段の形からここが神社の跡地であることを想像するのは難しくないでしょう。

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もちろん既に神社自体は無く、現在は跡地にホルムスク銀行(банк холмск)のビルが建っています。

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それでも、敷地内を見渡せば日本時代の名残もちらほら。

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こういった残存物が、ここが70年前まで日本の街だったことを思い出させてくれます。

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続いては、ホルムスク解放の戦いで亡くなったソ連兵士の慰霊碑。日本側からすれば民間人も多数亡くなった悲劇のソ連侵攻ですが、ソ連からすれば祖国解放の栄光の歴史ということでしょう。

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そのままメインストリートを南へ進むとレーニン広場。ここにもレーニンさんが鎮座しています。

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その向かいには現代風のショッピングモールも。

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更に先へ進むと、日本人居留者の慰霊碑。

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ソ連崩壊後の1995年になって、日本統治時代に日本人墓地があったところに建てられたようです。先ほどのソ連慰霊碑と比べると目立ちませんが、眠っている人の数ではこちらの方が圧倒的なはず。

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この慰霊碑はメインストリートから外れた住宅地の中にポツンとあるので、見つけるのは少し大変です。スマホを持っていればグーグルマップに所在地が載っているので何とか見つかりますが、そうでなければたどり着くのは至難の技かもしれません。

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慰霊碑から市街地中心部へ戻る途中、王子製紙の真岡工場跡が見えました。戦後も工場はソ連に引き継がれ、ソ連崩壊後の1992年に火災発生で設備が焼失するまで操業していたとのことですが、今では完全な廃墟です。廃墟マニアにはたまらないでしょう。

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中心部に戻ってきました。これは港の入り口。ここからはロシア本土のワニノという街までの連絡船が運航しているので、言ってみればサハリンの玄関口のようなところです。

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港町らしく、沿岸には貨物用のクレーンが並びます。積んでいる石炭は本土への輸出用でしょうか。

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3~4時間の滞在で一通り市内観光は終了。サハリン3位とはいえ人口3万人程度の小都市なので、徒歩で気軽に見て回れる規模の町で、ユジノサハリンスクから日帰りで来るにはちょうど良いと言えるでしょう。逆に、大したホテルもなさそうだったのでここで1泊するのはあまりおすすめできません。

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2日目:ユジノサハリンスク滞在 (2) ガガーリン公園、山の空気展望台

郷土博物館を後にしてやって来たのは、ガガーリン公園。ユジノサハリンスク最大の公園で、この日は週末だったこともあり、地元住民で大賑わいでした。入り口で出迎えてくれるのは、公園の名の由来であるソ連の宇宙飛行士ガガーリンの像です。

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入り口近くには一部日本語の看板もありましたが、詳細は不明。

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園内を進んで行くとイベント会場が。

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世界中で大人気のミニオンはサハリンにも到達済み。

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どうやら、子供達の武道の披露会のようでした。空手と似ている気もしますが、ロシアの武道でしょうか。

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最後にこうやってロシア国旗を高々と掲げるあたりには日本人との感覚の違いを感じます。日本ではまずありえない光景でしょう。

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公園内には怪しい自動販売機を発見。機材自体は日本の中古品なのでしょうが、商品のラインナップまで日本語で書かれたものばかりなのはどういうことなのでしょう。

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そして、ガガーリン公園の目玉といえばこの子供鉄道。ロシア国鉄の完全バックアップのもと、池の周りを一周する線路を子供達が列車で運転できるというアトラクションです。子供騙しではなく本格的な車体で、かなり力が入っています。

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遊園地コーナーもあります。かなり年季の入った遊具ばかりですが、ユジノサハリンスク唯一の遊園地ということでここも賑わっていました。

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ちょっと怖い気もしますが、地元の若者は気にせず大はしゃぎ。

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ガガーリン公園を南側のゲートから後にすると、北海道センターなる建物がありました。

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入居テナントをみると、日本領事館、三井物産北海道庁事務所等が入っており、日本村を形成しているかのよう。地理的・歴史的な背景から、サハリンは今までに訪れたロシアの他地域に比べて日本の存在感が格段に大きい土地です。

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北海道センターの向かいにあったレストランで昼食。立地的に外国人客もよく来るのか、若いスタッフが英語が話せたので注文も簡単で助かりました。

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続いて立ち寄ったのは栄光広場。

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ロシアの地方都市なら必ず1つある、第二次世界大戦戦没者慰霊碑です。デザインも他都市とほとんど同じ。

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ただし、建てられた銅像は独特。突撃する兵士と撃たれている兵士は、戦闘の激しさを表現したかったのでしょうか。

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栄光広場から更に南へ10分ほど歩くと、ロープウェイ乗り場に到着。このロープウェイに乗ると、市街地東側の丘の上に位置する、その名も「山の空気」展望台に向かうことができます。

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まずはチケット売り場で乗車券を購入。途中に乗り継ぎ箇所があり2区間に分かれているので、頂上まで行きたい場合はそのように伝える必要があります。

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冬はスキー場になるようです。というよりも、展望台よりもスキー場の方が本業なのでしょう。

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8人乗りのゴンドラ。週末だったにも関わらずガラガラですぐに乗車できました。

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そこまで傾斜はきつくなく、緩やかに斜面に沿って上昇。

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5分ちょっとの乗車時間で乗り継ぎ時点に到着。

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2区間目は少し傾斜も上がります。

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更に5分ほどの乗車で頂上に到着。頂上にはカフェテリアや子供向けの遊具設備などがあり、ちょっとした公園のようになっています。

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各地までの方角と距離を表した標識があったのですが、日本で唯一表示されていたのは北海道のルスツリゾートでした。スキー場繋がりでしょうか。

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展望台という名に相応しく、ユジノサハリンスクの街が一望できます。分厚い雲に覆われて青空が見えないことだけが残念。

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市街地の建物でも特に目立つのは、サッカースタジアムと大聖堂。どちらもロープウェイ乗り場から近そうなので、降りたら立ち寄ってみることにします。

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街の端には空港と滑走路も確認できました。

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頂上はそこまで広いわけでもなく、特段散策が出来そうなコースも無かったので、20分ほどの滞在で早々に下山。早速頂上から見えたスタジアムへ行ってみました。

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残念ながら敷地内へは入れませんでしたが、外からでも中の様子は丸見え。現在オフシーズンなのか、芝生の張り替え中のようでした。

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そして大聖堂。まだ建設されてそこまで年月も経っていないような、新しそうな建物です。

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正面に描かれるのは特大サイズのキリスト像。内部は写真撮影禁止だったのですが、お祈りをしている現地住民の方も多く、荘厳な雰囲気で思わず背筋がピンと伸びるような場所でした。内装も煌びやかで一見の価値ありです。

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最後は大聖堂の隣りの勝利広場。ここでも戦車が中央に鎮座しているなど、日本の街並みに比べて"戦争"を意識させるモニュメントの数が格段に多いのはロシアの街の特徴でしょう。

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これでこの日の散策は終了。ここまで歩いて来ると市内中心部まで少し遠いので、帰りはバスで帰ります。バス停には、ここに停車する路線番号と各路線の時間帯別の運行間隔が記載されているので参考になりました。

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それに加えて、スマートフォンがあれば市バスのウェブサイトから、各路線で今バスの車両がどの辺りを走行しているのかリアルタイムで確認することも出来、非常に便利。こんなロシアの片田舎の街で先進国顔負けのサービスが提供されていることには驚きです。

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この日の夕食は、極東とはいえせっかくロシアまで来たので、ロシア料理店に行ってみました。まずはボルシチサワークリームも欠かせません。

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そしてペリメニ。ロシア風水餃子のようなものです。

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翌日は郊外の街へ足を伸ばします。

2日目:ユジノサハリンスク滞在 (1) ベルカホテル、市内散策、郷土博物館

今回宿泊したのはBelka Hotel。鉄道駅から徒歩10分ほどの場所に位置しており、立地は良好。

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ログハウスを模したような造りになっており、全体的に清潔で悪くありません。天然ガス産出で景気が良いというサハリン固有の事情を考えれば、1泊約8,000円という値段はまあ妥当といったところでしょうか。

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日本人客が多いのか、エレベーターの上には正月飾り。既に8月なのですが。

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到着した日はもう遅かったので、夕食はホテル併設のレストランで。

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記念すべき1食目はロシアらしくビーフストロガノフにしてみました。機内食で少し腹を満たしていたので、これくらいでちょうど良い量。

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翌朝の朝食も同じレストランで。ビュッフェ形式でしたが、卵料理にハムといっただけではなく、肉料理や魚料理も置いてあり満足。もちろんロシア定番の黒パンも欠かせません。

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朝食を摂ったら、早速町歩きを開始します。初日はユジノサハリンスクの市内をぶらぶらすることに。

まずホテルを出て中心部に向かって歩いて行く途中に通りがかったのが、サハリンエナジー社のオフィス。日本の三井物産三菱商事も出資をしている、LNG生産プロジェクト"サハリン2"の運営企業です。現在のサハリン経済の牽引役となっていることもあり、ユジノサハリンスク市内でも立派なビルを構えています。

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中心部に向かうと、1945年までの期間の日本領で豊原と呼ばれていた時代の建築もちらほら。こちらは北海道拓殖銀行の豊原支店だった建物です。

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現在はサハリン州立美術館となっており、入口も裏側になっています。

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せっかくなので入場。確かに、内部の造りは銀行だった頃を彷彿とさせます。展示品の解説はロシア語のみで解読不能ですが、それでも建物見学の観点から入場してみる価値はあります。

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展示物自体は日本や朝鮮由来の展示物もいくつかありましたが、一番目を引くのはロシア正教のイコン。偏見が入っているとは思いますが、この一見不気味なところが、いかにもロシア・東欧の宗教という印象。

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こちらがユジノサハリンスクのメインストリート、レーニン通り。8月にも関わらずこの日は曇っていたせいかかなり寒く、昼間でも体感は15度くらい。とても半袖で過ごせるような陽気ではありません。

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続いてやって来たのはレーニン広場。もうソ連崩壊から30年近くが経過していますが、それでもここのレーニン像は健在です。

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広場の向かいにもソ連らしいモザイク画。なんとCCCPの表記がまだ残っていました。

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レーニンさんはこちらにも。

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広場の奥には、ネフチェゴルスク地震の追悼モニュメントがあります。ソ連崩壊の傷も癒えきっていない1995年に発生したこの地震では、サハリン北部のネフチェゴルスクという街が再建不可能なほどの壊滅状態になり、今でも街は打ち捨てられたままになっているそうです。

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レーニン広場の裏にあるのが鉄道駅。ВОКЗАЛは"駅"という普通名詞なので、少々違和感がありますが、ユジノサハリンスクには1つの鉄道駅しか存在しないので区別する必要が無いのでしょう。日本ではどんなに田舎の駅でも、駅名を掲示していない駅舎は無いと思いますが、この辺りはロシア人と日本人の感覚の違いでしょうか。

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時刻表。サハリン州の州都であるユジノサハリンスクですが、発着する本数は数える程しかありません。しかも、当初の計画では鉄道に乗ってサハリン北部にも足を伸ばす予定だったのですが、ちょうど旅行のタイミングでサハリン鉄道の改軌工事が行われており、北部方面への列車は大幅減便で諦めざるを得なくなりました。

運休になった便は駅の時刻表でもしっかり出発時刻の表示が外されています。

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こちらが路線図。サハリン島を横に倒して描いているのでわかりづらいですが、右の方に赤色の文字で記載されているのがユジノサハリンスク、そこから左方向に真っ直ぐ伸びるのが、改軌工事中の北部方面路線です。

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乗車券はどうやら窓口で直接買う方式のよう。あまり行列を形成しているような様子はなく無秩序になっているように見えますが、中国やアフリカほどの騒々しさはありません。

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駅に1台ぽつんと置いてある、どう見ても怪しいミッキーマウス型のゲーム機。中国からの輸入品でしょうか。

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鉄道駅のすぐ横にあるのがバスターミナル。ユジノサハリンスク市内の路線バスではなく、サハリン島内の別の街とユジノサハリンスクを結ぶ中長距離路線がここから発着します。

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時刻表は窓に掲示されている通り。

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切符は建物の中で買うのですが、パッと見た限りではここが切符売り場なのか疑ってしまうほどの重厚な扉。表記はロシア語しか無く入りづらい空気を醸し出していますが、ここで間違いありません。

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そのまま駅から西へ。近代的な映画館がありました。

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映画館の前にはモダンアートのモニュメント。レーニン広場周辺のソ連らしさ全開のモニュメント群との落差が新鮮。

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次に向かったのはサハリン州郷土博物館です。日本領時代にも樺太庁博物館として使われていた建物で、いかにも日本風といった門構え。

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ちょうど結婚記念写真の撮影も行われていました。地元の住民にも地域の名所として馴染みのある建物になっているようです。

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建物内部だけではなく、敷地全体が"MUSEUM UNDER THE OPEN SKY"と称する青空博物館になっているのが特徴です。

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これは戦時中に日本全国の小中学校に設置された、天皇・皇后の写真を飾るための"御真影奉安殿"と呼ばれる建物だそう。恥ずかしながら、このような設備の存在を今まで聞いたことが無く、サハリンに来て日本史を勉強することとなりました。

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こちらは日本軍が使用していた戦車。せっかくの歴史的価値のある戦車であるにも関わらず、塗装しなおされたせいでかなり安っぽくなってしまっているのが残念。

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当時の豊原にあった並木道"中川並木"の標識。こちらは良い保存状態です。

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砲台も。

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明治三十七八年戦役と書いてあるので、日露戦争時代のものでしょう。

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日本関連のもの以外にも展示物はあります。これは鯨の顎骨。

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この部分。顎骨でこの長さですから、相当な大きさです。

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サハリン2プロジェクトが動き出すよりずっと前の1940年代からサハリン北部で稼働していたという石油採掘設備。ちょうど2018年8月10日に寄贈されたばかりとのことで、今でも定期的に展示物は増えていっているようです。

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タグにはしっかりとCCCPの文字入り。

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これだけでも見応え十分でしたが、もちろん博物館内にも入館。屋内展示の見学には入場券の購入が必要ですが、100ルーブル(=約160円)と財布に優しい値段設定です。

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館内は、フロアごとに恐竜の時代から現代までサハリンの歴史を振り返る展示内容になっています。

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このサイズのヒグマがサハリンには現在でも生息しています。当初はサハリンでもトレッキングをしようかと思っていたのですが、ヒグマの存在を思い出してたので今回は断念。安全第一です。

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そんなヒグマも、アイヌの人たちにとっては大切な生き物。神聖な儀式には欠かせなかったようです。

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ソ連の頃は日本統治時代に関する情報はほとんど隠されていたようなのですが、今では随分とオープンになっている様子。解説がロシア語しか無いので推測ですが、伊能忠敬の測量に関する記述もありました。

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日本統治時代の豊原の地図。札幌などの北海道の大都市と同様、更地を開拓して建設された都市のため道路は碁盤の目状に広がっていおり、これは現在のユジノサハリンスクにも受け継がれています。

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建物の内部はやはり日本風。

 

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午後も市内散策は続きますが、長くなったので続きは別記事で。

 

1日目:ヤクーツク航空 R3550 成田〜ユジノサハリンスク エコノミー

今回の出国便で利用するのは、初めて搭乗するヤクーツク航空。どのアライアンスにも入っていない極東ロシアの地域航空会社なので、どこのターミナルを使うのかと思いきや、スカイチームがメインで陣取る第1ターミナルの北ウイングでした。ロシアの航空会社の親玉、アエロフロートとの関係によるものでしょうか。

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小さい機材での運航ということもあって、お盆休みにも関わらずチェックインカウンターはがらがらです。ここのエアラインは予約時の事前座席指定が出来なかったのですが、チェックイン時に申し出ることでしっかり窓側席を確保できました。

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随分とキリル文字が目立つボーディングパス。この時点から既にロシアを感じさせてくれます。

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北ウイングの出発便一覧の中でも特に異国感が漂う行き先であることは間違いありません。

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今回はエコノミー利用なので、プライオリティパスで入れるという大韓航空ラウンジに初めて行ってみることに。

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内部は、やはり制限エリア内では唯一のPPラウンジということもあってかなりの混雑。フード類も大したものはなく、成田で最も貧弱な設備のラウンジといっても過言ではありません。PPユーザーはここしか選択肢が無いので仕方ありませんが、大韓航空スカイチーム他社のビジネスクラス便利用時は、ここではなくデルタのラウンジを使うのが正解でしょう。

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PPユーザーが増えすぎてしまったせいか、退室時にはこんな掲示が。夕方の出発ラッシュ時には入場制限がかかるようです。

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ヤクツーク航空の出発ゲートは28A。向かってみると、バスゲートでした。小型機材で週2便しか就航していないマイナー航空会社なのである程度予想できるとはいえ、ANA便もいくつもバスゲートになっているのには驚き。

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しっかりと定刻で搭乗開始。搭乗開始のアナウンスは英語、日本語のみでロシア語はありませんでした。

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考えてみれば成田でバス搭乗は初めて。5分ほどバスに乗り、ターミナルからは随分と離れたリモートの駐機場にて搭乗です。

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隣に見えたのは貨物便専門のPolar。どうやら貨物ターミナルの近くのよう。

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機種はなかなか目にする機会の無い、ロシア製のスホイスーパージェット。この機種に乗るのはメキシコのLCCであるインテルジェット以来2度目です。内部は2-3の座席配置になっています。

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座席前のポケットには機内誌が入っていましたが、残念ながらロシア語オンリー。

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日本を紹介するような記事もあったのですが、全く解読不能です。

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辛うじて想像がつくのは保有機種紹介くらい。旅客用では最大の機種でもB737と、地域航空会社らしい控えめなラインナップ。

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乗客は日本人が7割、LNG関係のビジネス渡航と思われる欧米人が2割、ロシア人が1割といったところでした。驚いたのは、クラブツーリズムの中高年団体客が搭乗していたこと。欧米やアジアには止まらず、サハリンにまで中高年団体が進出していたとは。

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厳しい午後の日差しの中を離陸。

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水平飛行になったら、サービス開始。まずは今時珍しくエコノミーの乗客に対しても新聞のサービスがあったのですが、どういうわけか積んでいるのはサンスポのみ。個性が感じられるチョイスです。

新聞に続いては、ロシアの入国カードも配られました。モスクワでは、空港の入国審査ブースでビザ申請時の情報が印字されたものが手渡されますが、ユジノサハリンスクにはその設備が無いのか、未だに手書き版です。

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外に目をやると、東北の方へと進むにつれて夏らしい入道雲が目立ってきました。

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新聞と入国カードの配布の後はドリンクサービスが1度あっただけで、もしかして短距離なので機内食は出ないのかと思い始めたのですが、離陸から1時間ほどしてミールボックスも配布されました。ルヴァンのクラッカーが無ければ、ロシア搭載と言われても疑わないほどの内容。

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離陸から2時間弱で、ユジノサハリンスクに向けて降下開始。北海道からサハリンにかけては分厚い雲が地表を覆っており、残念ながら宗谷海峡を目視することは出来ませんでした。

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着陸。フライト時間は2時間10分ですが、日本とは時差が2時間あるのでこちらは既に夜9時。

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ユジノサハリンスクの空港もどうやら新ターミナルを建設している最中のようでした。

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こちらが現在運用中のターミナル。ボーディングブリッジは1つもなく、かなり簡素な建物です。

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入国審査はブースが3つ。ロシアの入国審査は1人1人にかける時間が長いので、降機後はバスに乗ってターミナル前で降ろされたら、急いでブースへ向かい前の方に並ぶのが重要です。幸い私は5分ほどで通り抜けられました。

まずはATMでキャッシング。以前にとあるロシアの地方空港で、海外発行カードに対応したATMが無かったため現金を引き出せずに困った経験があったのですが、ここでは問題無く引き出し可能でした。

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ターミナルの外に出るともう夕暮れ。

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ターミナルを出たら左に向かって歩いて行くと、バス停があります。わかりやすいバス停のサインがあるので見つけるのは簡単。

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ここからバスに乗って市街地まで、3番・63番どちらも中心部に行きますが、本数が多いのは3番の方。

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5分ほど待つとすぐにバスがやってきました。電気が半分消えていたりと、うらぶれた感じがいかにもロシアにやってきたという気分にさせてくれます。

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ロシアビザ取得プロセス(2018年現在)

今回のお盆休みの旅先はサハリン。一昔前は日本領だったので国内旅行で行けたところですが、当然現在ではロシアビザの取得が必要です。

2年前にヴォルゴグラードに旅行に行った際は時間が無かったために代行業者に頼んでビザを取得したのですが、今回は久しぶりに自ら申請をしてみることにしました。

ロシアビザの取得手続きプロセス自体は色々なウェブサイトに情報がありますが、大まかに言うと以下の手続きを踏むことになります。

①バウチャーを入手。

②ロシア外務省のウェブサイトにて、ビザ申請書をオンライン提出。

ロシア大使館にて、印刷したビザ申請書及びパスポートを提出。

ロシア大使館にて、ビザが貼られたパスポートを受け取り。

以前(2010年頃)にロシアビザを自力で申請した際はオンライン申請がなく、バウチャーを直接大使館に持ち込んで申請するのみだったので、それに比べると1つフローが増えたことになります。ただし、実際にはこの8年の間に、全体を通して想像以上に難易度が上がっていたのでした。

詳細は以下の通り。

①バウチャーを入手。

8年前と同じくTravelRussiaという旅行代理店のウェブサイトで入手。当時は8.05ユーロでしたが、ルーブル安の影響か今は10.74ユーロと少し値上がりしています。日本時間の深夜1時頃に手続きすると、一晩経った同日の16時頃にはメールで届きました。

②ロシア外務省のウェブサイトにて、ビザ申請書をオンライン提出。

これは8年前には無かったプロセス。ロシア外務省のビザ申請専用ページにアクセスし、必要情報を入力して申請します。以前は紙で書いていたものがそのままオンライン入力形式に変わっただけという印象で、特段入力に困るような項目はありません。申請を終えたら申請書を忘れずにプリントアウト。

ロシア大使館にて、印刷したビザ申請書及びパスポートを提出。

これが一番の難関でした。ロシア大使館のウェブサイト上では9:30~12:30の間に申請受付となっていますが、実際に9:30に行ってみると、既に申請者で大混雑。番号札を取って自分の順番を待たなければいけないですが、番号札発行機も停止中です。

後からわかることなのですが、番号札は70番までしか出ないように設定されているようで、既に9:30の開館すぐの時点で受付が終わってしまっていたのでした。

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番号札を取れなかった人は、70番が終わるまでひたすら待つことになります。この日は70番の人が終わったのが12時過ぎで、2時間半ほど待ちました。

番号札を持っている人の手続きが終わったので遂に私たちの順番なるかと思いきや、ここで無情にも大使館職員からの宣告があり、「番号札の無い人は、緊急申請のみ受け付けます。」とのこと。以下の表の通り、通常は2週間待てば無料で取得できるロシアビザですが、それは番号札が無いと受け付けないとのことのよう。

11労働日以上 4~10労働日

3労働日以内

(緊急申請)

無料 4,000円 10,000円

大使館のホームページにもそのような記載は一切無いのですが、ここは東京とはいえロシア大使館。文句を言っている人も一部いましたが、そんなことはするだけ無駄です。また翌日も会社の休暇を取得できるほど暇では無いので、私は泣く泣く1万円を支払い、なんとか申請を済ませました。

8年前は時間内であれば、いつ行っても大した待ち時間も無く申請出来ていたのに、ロシアがこの8年で随分ポピュラーな旅先になったということの証左かもしれません。

ロシア大使館にて、ビザが貼られたパスポートを受け取り。

ビザ申請時に控えとして渡される黄色い紙にピックアップの日付が書かれているので、その日以降であれば受領可能。

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申請時と違い、受け取りは番号札を取る必要もないのでスムーズに終わります。所要時間5分ほどであっという間に受領完了。

 

結論

ロシアビザの申請は、番号札制度により随分と面倒になりました。無料のはずが結局10,000円かかってしまい、これなら代行業者の方が安かったことになります。今後はロシアビザを自力申請することはないでしょう。