Out of Office サラリーマン週末旅行記録

とあるサラリーマンの週末旅行記&搭乗記。2022年より米国在住。

7日目:ダカール町歩き (1)

ダカール滞在は丸2日。初日の町歩きは北西部のワッカム地区からスタートすることに。

ダカールは路線バス網が発達していますが、どの番号のバスがどの地区に行くのかを見分けるのは旅行者には至難の技。全ての路線が網羅されているわけではありませんが、このサイトがとても参考になりました。

路線バスでは必ず後部に車掌が乗っており、乗車したら金網越しに料金を支払います。料金を支払う際には目的地を告げる必要があるので、目的地の地区名は覚えておいた方がスムーズでしょう。

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宿の近くから路線バスの43番に乗ってワッカム地区に到着。バスを降りるとすぐ、この町一番のランドマークが嫌でも目に入ります。

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バスを降りてから10分ほど歩いて到着。その名もアフリカンルネサンスの像です。

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2010年にセネガルの独立50周年を記念して完成した銅像で、高さは49mで像としてはアフリカ最大。基礎インフラすら未整備のこの国で総工費2,500万ユーロを費やして建設されたことで、セネガル市民の間では政治の腐敗の象徴として不評だそうです。

階段を登って像の真下までは誰でも入場可能。

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6,500フラン(約1,300円)を払うと、銅像の内部に展望デッキとミュージアムに入ることができます。入場料の35%は建設時の大統領の収入になるというのはとんだお笑い種。

外国人に対しては英語ガイドが付いて説明をしてくれるのですが、その説明で驚いたのは、この銅像の設計・建設を担ったのが北朝鮮の政府系企業だということ。確かにミュージアムで流れるムービーをよく見ると、建設作業員はみんなアジア系の顔つきです。北朝鮮がこんなところで小遣い稼ぎをしていたとは意外でしたが、彼らにとっては貴重な外貨獲得手段だったことでしょう。

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一通りムービーを見終わったら、エレベーターに乗って展望デッキへ。

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展望デッキは男性の像の頭頂部分に位置しています。すれ違うのがやっとの狭い構造です。

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外を見るとまず目に入るのはこれでしょう。なかなかインパクトのある顔です。

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その奥にはダカール市街が広がります。

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反対側には空港も。今の空港は住宅街の中にあるため、現在内陸部に新空港を建設中とのこと。

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こちらがアフリカ最西端のヴェルデ岬突端。最西端のポイントまで行こうとしたのですがたどり着けなかったという話はまた後ほど。

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下に降りて、ミュージアムエリアへ。3階建てになっており、3階には銅像完成時にアフリカ各国から贈られた記念品が並んでいます。

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2階はアフリカ人芸術家のアート作品集。アフリカの文化を発信する施設としたいのでしょうが、残念ながらこの銅像自体がアフリカの腐敗政治文化の象徴となってしまっており、内部の展示物が霞んでしまいます。

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銅像の裏側には、完成記念式典に参加した国々が列挙されたプレートが。アフリカ内でも指折りの腐敗国家ばかりが並んでいるのは笑うところでしょうか。そしてアフリカ外からは唯一参加しているのが北朝鮮

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銅像を後にして、次はダカールの北側に位置する小さな島、ンゴール島へ。Google Mapで船着場までの距離を調べると約4kmだったため、歩いて向かうことにしました。

路上で見かけた散髪屋の看板。上のモデルは某国の将軍様にしか見えない気がするのですが・・・

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銀行の壁には、2025年のダカールの未来予想図が。何事も期待するだけなら自由です。

 

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途中、ダカールシティというショッピングモールで休憩。

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規模は小さいですが、こうしたショッピングモールがあるのはさすがセネガルガンビアギニアビサウでは全く見かけませんでした。

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船着場に近づくと舗装された道が無くなり、裏路地へ。

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潮の匂い、波の音がする方に歩いていくと、海岸に出ました。観光客向けというよりは非常にローカルな雰囲気の砂浜です。

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フランス語はほとんど知識がありませんが、推測するに2017年4月15日から往復運賃は1000フランになったということでしょうか。ガイドブックには500フランと記載されていたので、倍増したようです。とはいえ、1000フランでも200円ですから大したことはありません。

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運賃を払って救命胴衣を受け取り、10分ほど待つと乗船となりました。ご覧の通り海に入って船によじ登ることになるので、ここに行くときはサンダル+短パンが必須です。目的地のンゴール島は真向かいに見えているほどの距離。

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乗っているのはほとんど地元民。現地の人々にとっては気軽な遊び場的な感覚のようです。

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10分ほどでンゴール島に到着。ダカールの喧騒とは打って変わって静かな南の島で、石垣といいカラフルな花といい、沖縄を連想させる場所です。

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標識のようなちょっとした部分もおしゃれ。

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ベンチもモザイクタイルです。芸術家が多く住んでいる島ということもあり、島全体がアーティスティックな雰囲気。

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5分歩けば反対側の海辺に出てしまうほどの小さな島です。

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島の端まで来ました。人もおらず波音だけが聞こえる環境で、のんびりと贅沢な時間を過ごせる場所です。ベンチに座ってリラックスすれば、東京での日常の疲れがすっと取れていく気がします。

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目の前は大西洋。空も晴れ渡って文句なし。

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しばらく休憩したあと、ダカール側に戻ってアフリカ最西端の場所を目指すことにしました。事前に仕入れた情報では、最西端のポイントはHotel des Almadiesというホテルの敷地内にあるということでGoogle Mapsを頼りに向かっていくと、無事看板を発見。

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ところが、ホテルの前まで来ると目に入ってきたのは大きなSheraton Dakarの看板でした。どうやら、Hotel des Almadiesは閉業となり、現在新たにシェラトンとして再オープンするための工事中の様子。警備員に話を聞きましたが工事中ということで当然敷地内には入れてもらえず、最西端は断念せざるをえませんでした。

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1日歩き回り、最後は47番のバスで帰路につきます。 夕方のラッシュ時と重なり、1時間半ほどかけて宿にたどり着きました。

6日目:ガンビア〜セネガル フェリー+陸路移動

ガンビアからセネガルの首都ダカールまでは約300km。まずはガンビアの国土を横断して流れるガンビア川を船で渡り、その後は陸路でダカールまで向かうルートです。

アフリカでの移動をスムーズに済ませるには何よりもまず早朝の出発が肝心。まだ夜明け前の朝6時には宿を後にしました。

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まずは乗り合いタクシーでバンジュルへ。50ダラシでフェリーターミナルまで連れて行ってくれると運転手が言うのでお願いしましたが、到着して50ダラシを渡すと、150ダラシ払えと言ってきます。またこれかと思いつつ、もちろん運転手の要求は無視して50ダラシだけ押し付けて車を降りました。いちいち相手にしていたらキリがありません。

ターミナルではチケットを購入したら、フェリーが到着するまで待合室で待機。

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当然フェリーに時刻表などありません。運が悪いと2時間以上待たされることもあるようですが、この日は30分ほどで乗船できました。

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甲板の大部分は自動車が占め、乗客はその隙間のどこかにスペースを探す必要があります。幸い、私は2階部分のベンチを確保。

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朝7時頃、出港。

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川のちょうど真ん中あたりで、反対方向にバンジュルへ向かうフェリーとすれ違いましたが、あちらの甲板には溢れんばかりの人。首都へ通勤する人々でしょうか。思わず、地中海を渡ってヨーロッパへ向かう難民船がフラッシュバックするような光景です。

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乗船時間1時間で、対岸の町バッラに到着。

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船を降りたら人混みについて進んでいけば、そのままガンビア川北岸の各地へ行く乗り合いバスの発着場に出ます。国境行きの車もフェリーから降りた乗客ですぐ満席になり、待ち時間ゼロで出発。

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30分ほどでセネガルとの国境に到着しました。ここの国境はガンビア側とセネガル側の出入国管理が隣同士の建物で行われているため手続きは楽。ただ写真撮影には厳しく国旗を写す程度で限界です。

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ここの国境では面白いものを見ました。一見普通の両替商なのですが、プロの手品師並みのテクニックでお札の数を抜いてきます。まず、こちらがダラシからCFAフランに両替したいと言って、持っているダラシの金額を伝えると、電卓で換算率を掛けてCFAフランでの金額を示してくれます。換算率自体はごく普通で、電卓にも特に仕掛けはありません。そして私の目の前で、CFAフランのお札を電卓で出した数字通りに数えた上で渡してくれるのですが、私の手元でもう一度数えるとお札が数枚少なくなっているのです。

目の前で数えたものをそのまま渡してくれている(ように見える)ので、それを信用してそのまま受け取ってしまうとまんまと騙されてしまうわけですが、何度見てもどのタイミングでお札を抜いているのかよくわかりませんでした。こんなくだらない詐欺をするよりも、よっぽどプロの手品師になった方がいいと思わせるほどの腕前で、逆に感心してしまいました。

感心はするものの、当然こんな詐欺師相手に両替をする気はありません。こういった場合、先にダラシを渡してしまっていると後から返してもらえない(もしくは少し札を抜いて返される)可能性があるので、アフリカでは両替後のお金を受け取るまでこちらのお金は渡さないのが鉄則です。

無事まともな両替商を見つけて両替を済ませ、セットプラスの発着場へ。国境からは約1.5kmあり、私はバイタクに乗りましたが、歩いても十分行ける距離です。

ここの発着場でも30分ほどの待ち時間で、9:30にはダカールに向けて出発。今回のアフリカ移動では長時間待つようなことは全くなく、運に恵まれていました。セットプラスの運賃は7,500フラン。

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国境からダカールまで行くには、中部の主要都市カオラックを経由して行くルートと、より距離は短いですが橋の架かっていない川を渡っていくルートの2パターンがあります。どちらでも時間はほぼ変わらないらしいのですが、今回は後者でした。2時間ほど走って川岸に到着し、車ごと船に乗ります。

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対岸は見えており、そんなに幅の広い川ではありません。

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川を渡った先で小休憩が入りました。今回乗った車はこちら。2列目の座席を確保できましたが、3列目だと狭そうです。

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道の反対側には、見かけは立派ですが全く使われている様子の無い港湾設備。現地住民はこれを見て何を思うのでしょうか。

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国境から5時間半で、ダカールのターミナルに到着しました。その規模と近代的な作りは、さすが西アフリカ屈指の大都市というところで、ガンビアギニアビサウのそれとは比較になりません。

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ダカールで2泊したのは、アミティ地区にあるCasa Maraというゲストハウス。他の宿泊者と交流できる中庭があり、過ごしやすい宿です。

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部屋も広さ十分。

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西アフリカでは必需品の蚊帳もしっかり用意されており安心です。

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朝6時にガンビアの宿を出発して、到着したのは午後4時。トータルで10時間の移動になりました。到着後は中庭でビールを飲みながらスタッフや他の宿泊者と話しつつ、ダカール滞在中の予定をプランニングして明日以降に備えます。

5日目:セレクンダ町歩き

ガンビア滞在2日目はセレクンダの町をぐるっと周ってみます。

まずは観光客向けのリゾート施設や飲食店が集まるセネガンビア地区へ。宿のあるファジャラ地区からは乗り合いタクシーでセネガンビア地区の入り口まで10分ほどです。

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ガンビアは、表向きはビーチリゾートとして観光客を集めていますが、ヨーロッパ(特にイギリス)では、言わずと知れた中年女性にとってのセックスツーリズムのメッカとして有名な旅行先。その本拠地がこのセネガンビア地区です。ここを歩いていると、一人で歩いている白人の中年女性や、グループでタムロする若い現地人男性が目に付き、確かに通常の観光地とは違う雰囲気。まだ朝の静かな状態でこれですから、夕方以降のこのエリアがどんな感じかは想像に難くありません。

セネガンビア地区を歩いて通り抜けると、その奥にあるのがビジロ森林公園(Bijilo Forest Park)。野生動物が気軽に見られると評判なので、入場料150ダラシ(約360円)を払って入園します。チケット売り場付近には例によってガイドが待機しており、1人で歩くと危険だとか言ってきますが、ガイドは不要だときっぱり伝えるとしつこく寄ってくることはありませんでした。

朝早くに行ったのが奏功したのか他に人はほとんどおらず、貸切状態。

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2~3分歩くと、早速猿に遭遇。

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最初は興奮しましたが、少し歩くとこの公園は猿だらけなことがわかります。

ここにも。

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そこにも。

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あちらには群れが。

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人間には慣れているのか、ここまで近づいても逃げません。

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鳥もいろいろいましたが、猿と違い遠くて小さいのでなかなか写真には写せません。唯一まともに撮れたのはこれくらい。

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30分くらい歩き、どんどん出てくる猿や鳥にも段々飽きてきた頃に海に出ました。ここで公園は終わりです。

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公園をそのまま引き返しても面白くないので、海岸を歩いてセネガンビアの中心まで戻ることに。

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しばらく歩き続けると、前方にいくつもの黒い影が。

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何かと思って近づくと、ハゲワシです。波で打ち上げられた魚の死骸を貪っているのでした。

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彼らは水が苦手なのか、波が打ち寄せる度にいちいち避難し、波が退くと次の波が打ち寄せる前に急いで魚をついばんでおり、その動きは意外と愛嬌があります。

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5月はオフシーズンなのか、ビーチにも人はまばらで海の家も開店休業状態。西向きの海岸なので、夕暮れ時は賑わうのかもしれません。

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続いては隣町のバカウにあるワニ園へ。入場料100ダラシ(約240円)。

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ここは先ほどの森林公園と違い、観光客向けの完全に人工的な施設。池にはかなりの数のワニがいます。

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そして、池だけでなく通路にも。

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ワニとの間には柵も何もありません。チケット売り場のスタッフはワニに自由に触ってもいいと言っていましたが、私の肝っ玉ではこの距離が限界。

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途中の単なる通路も、木陰にワニがいるのではないかと思うと安心して歩けません。

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ワニがいるだけで特に何か面白いことがあるわけではありませんが、暇つぶしにはちょうど良い感じでした。

ワニ園の周辺は民家が立ち並ぶ住宅街。セネガンビア地区とは打って変わって現地人の日常生活を垣間見ることができるエリアです。

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子供たちが外国人に興味津々なのはここも同じ。このくらいの年齢のアフリカの子は男なんだか女なんだかよくわかりません。

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もうこれでガンビアの名だたる観光地は行き尽くしてしまいました。あとは適当に町をふらふら。

これは偶然見つけたスウェーデン領事館とノルウェー領事館。今までに目にした中で最も質素な作りの領事館です。きっと本国から派遣された領事はおらず、ガンビア現地人が名誉領事が1人いるだけとかなのでしょう。

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ガンビアは人口の95%をイスラム教徒が占めるムスリム国家。この看板は町中でよく見かけます。

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観光客が集まるエリアから少し離れれば、交差点の真ん中を牛が横切っていくようなのどかな場所でした。

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ガンビアはこれで終わり。翌日はセネガルの首都ダカールへ向かいます。

4日目:バンジュル町歩き

この日は移動だけで1日が終わるかと思っていたのですが、想定以上に早く到着できたため、首都のバンジュルに行ってみることにしました。

私が滞在しているセレクンダを商業の中心とすれば、バンジュルは議会や政府機関等が集まる政治の中心といったところ。2つの町は10km程度しか離れておらず、乗り合いバスで15分あれば行き来できる距離ですが、バンジュルに入る直前の橋には検問があり、外国人はパスポートの提示を求められます。西アフリカのことなので、もしパスポートを持たずに気軽に移動しようとすると、面倒なことに巻き込まれるかもしれません。

バンジュル市街への入り口にある立派な門は、1994年7月22日に起こった軍事クーデターを記念して建造されたもので、Arch 22と呼ばれています。その軍事クーデターで大統領に就任して以来、20年以上独裁政権を敷いていたジャメ氏が今年1月に大統領選で敗北し亡命を強いられたため、今後は呼び名も変わるかもしれません。

呼び名はなんにせよ、この町随一のランドマークであることは間違いないでしょう。

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50ダラシ(約120円)の入場料を払えば上に登ることが出来ます。こちらは町の外側。左奥に建つ白い大きな建物が国民議会です。

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こちらが市街側。奥の港湾部分にはクレーンがたくさん並び、それなりに賑わっている様子。

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この門、エレベーターも設置されているのですが、メンテナンスが全くされておらず、残念ながらこの有様。

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階段も途中に電灯や窓はなく、スマートフォンなどの携帯照明は必須です。

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そのまま町の中心部へ向かって歩いて行きます。

大人と違い、子供達はカメラに写ることを全く嫌がりません。むしろ興味津々という感じで寄ってきてくれるので、いい暇つぶしになります。みんないい顔。

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ガンビアは旧イギリス領なので公用語は英語なのですが、これくらいの年齢の子供たちは全く英語を話しません。やはりあくまで日常生活は現地語が主流で、英語は学校教育で習得していくということなのでしょう。

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ガンビア大学。海外旅行中に大学を見かけるとキャンパスをぶらぶら歩きたくなるのですが、ここは入れる雰囲気ではありませんでした。

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 この辺りが中心部なのですが、ほとんど人がいません。

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バンジュルの観光名所の一つ、アルバートマーケット。中に入ろうとすると、ゲート付近に待機している観光客の金目当ての現地人がハローマイフレンド!と言いながら寄ってきたのですが、その手口がガイドブックに書いてあるやり方そのままでした。

1) まず一人の自称ガイドが近づいてきて観光客にしつこく話しかけ勝手に案内を始めます。

2) 観光客が無視したり追い払おうとすると自称ガイドは急にキレだし、人種差別云々と騒ぎ出します。

3) そこにタイミングよくもう一人の自称警備員が現れ、キレている自称ガイドを一喝して追い払った上で、観光客に不快な思いをさせたことを謝り、自分のIDカードを見せた上で、お詫びに自分が市場を案内すると言ってきます。

このやり方で、観光客の信頼感を得てお土産を売りつけやすくしているのでしょう。私は事前にガイドブックで予習をしていたので特に問題なくやり過ごせましたが、それでもいきなりキレられると不快な気分になります。特段個性のあるマーケットというわけでもないので、さっさと後にしました。

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気分転換も兼ねて、町の食堂で休憩。ガンビアではどこの食堂でもシュワルマやケバブが置いてあり、食文化は中東の影響を色濃く受けているようです。

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その後、国立博物館へ立ち寄りましたが、残念ながら16時で閉館。何が展示されているか興味本位で覗いてみたかったのですが、もう17時近かったので今回は諦めます。

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町中にはエボラ感染を注意するポスター。2014年の大流行時もガンビア自体は感染エリアではなかったはずですが、近隣諸国があのような状況では、気が気ではなかったことでしょう。

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暗くなる前にセレクンダへ戻ります。首都とはいえ人口は3万人の小さな町で、半日もあれば一周出来てしまう程度の大きさでした。

 

 

4日目:ギニアビサウ〜ガンビア 陸路移動

この日はビサウからセネガルのジガンショールを経由してガンビアの最大都市セレクンダまでの移動。距離でいうと約300kmほどですが、アフリカの陸路移動ほど時間が読めないものはないので、早め早めの行動を心がけます。

朝6時、まだ真っ暗ですが宿をチェックアウト。レセプションのスタッフにタクシーを呼んでもらい、乗り合いタクシー発着場まで移動しました。

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発着場はこのあたり。市街地から空港へ向かう大通りを少しそれたところにあります。大通りを離れると未舗装の真っ暗な道を進んで行くので少し不安になりましたが、無事到着。ホテルからは15分ほどです。

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発着場自体はそれなりに広く、特に行き先の看板も出ていないのでわかりにくいのですが、タクシー運転手に「どこまで行くのか?」と聞かれ、ジガンショールと答えるとジガンショール行きの乗り場の真ん前で下ろしてくれたので助かりました。

私が着いた時点でジガンショール行きを待っている先客は5人。10人集まったら出発とのことで、人数が集まるまで待機。30分ほど待って6:45に人数が揃い、無事出発しました。人が集まらないと数時間待ちとなることもよくあるアフリカで、幸先の良いスタートです。値段は運賃4,000フラン+荷物代500フランと、ボラれることもなく事前リサーチ通り。

最前列に運転手+2人、2列目と3列目には4人が座る配置。運良く最前列を確保できたので、道中の景色を楽しみながら移動できます。

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ビサウの町を出てすぐに検問がありましたが、検問はこの1度のみ。乗客全員が車から降ろされたものの、パスポートのビザページを見せるだけで済み、賄賂の要求等は一切ありませんでした。

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隣国セネガルと首都を結んでいるこの道路は、ギニアビサウにとって最重要な道路なのでしょう。道路はずっと舗装されており、快適なドライブでした。

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途中には、まだ建造されてそんなに時が経っていないであろう橋も。

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中国すらまだ進出していないような天然資源もないアフリカ最貧国で、誰が橋の建設費を融資したのか興味がありましたが、特に看板や記念碑等はありませんでした。

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この移動で隣りに座ったギニアビサウ人は、学生の頃にキューバへ国費留学していたとのことでスペイン語が堪能でした。50代のこの男性が学生だった頃というと、30年ほど前の話なのでしょう。当時、キューバがアフリカの共産主義国家に対する支援のために留学生を受け入れていたのは容易に想像が付く話です。

キューバの印象を聞くと、ギニアビサウとは比べものにならないほど発展していて自由な雰囲気の中最高な生活を楽しんだとのこと。生まれ育ちが違えば感じ方も違う、ということでしょうか。

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出発から2時間半ほどで国境へ到着。アフリカでは国境地帯の写真撮影などもってのほかという所がほとんどなのですが、ここは非常にリラックスした雰囲気でした。

ギニアビサウ側の国境施設からセネガル側への国境施設へは徒歩で1~2分ほどですが、他の乗客に付いていけばいいだけなので特に心配するようなことはありません。

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国境を越えると15分ほどでジガンショールの町に到着。バスターミナルに着いたら、そのままガンビア行きの車を探しますが、外国人がうろうろしていれば必ず誰かしらが近寄ってきて「どこへ行くのか?」と聞いてくるので、「ガンビア」と答えれば乗り場まで連れて行ってもらえます。こういう輩は必ず最後になって法外な案内料を要求してくるのですが、当然そんなのは無視。彼らも、外国人相手に無茶な要求をしていることが地元の人達にバレてしまっては分が悪いので、大声で主張することも出来ません。

ガンビア行きの車は一回り小さい普通の乗用車になりました。これが西アフリカでよく言うsept-place(セットプラス)。この名前を英訳するとseven-seat、つまり7席。その名の通り7人(+ドライバー)乗りの西アフリカでは最も移動手段です。セットプラスといいながら、実際には詰め込んで10人ほど乗せるケースが主流なのですが、そこは西アフリカ一の先進国セネガル、きちんと乗客7人で出発しました。

ジガンショールからガンビアまでは運賃2,500フラン+荷物代500フラン。今回も運良く待ち時間15分ほどで出発したのですが、最後の余り物だったのか、一番狭い最後列の座席になってしまいました。

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ジガンショールから国境までは約1時間半。最初にセネガル側の国境施設で降ろされ、手続きを終えた後に再度車に乗ってガンビア側の国境施設まで行き、ここが終着地点になります。

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ここで、ガンビアへの入国時に一悶着発生しました。

事前に調べていた限りでは、日本人は陸路国境でビザ取得が可能なはずで、そのつもりで入国審査に臨んだのですが、パスポートを渡すと、何やら奥の部屋へ来いと言われて怪しい気配。そのままデスク一つの小さな部屋に連れて行かれると、そこで審査官から「日本人はビザに加えてクリアランスが必要だ。」と言われました。そして、「ビザは3,000ダラシ(約7,200円、ダラシはガンビアの通貨)で取得可能だが、クリアランスは事前取得が必須だ。」とも。

リアランスというのは初耳ですし、何を指しているのかもよくわかりません。とにかくそんなものは持っていないと伝えると、審査官曰く「クリアランスは本来事前取得が必須だが、今回はビザ代に加えて更に3,000ダラシを追加で払えば入国を許可する」とのこと。小部屋に連れて行かれた時から怪しい雰囲気はしていましたが、これは明らかに腐敗の匂いです。

こちらは、ビサウガンビア大使館でそんなものは必要ないと聞いたとか、日本大使館に確認するぞ、とかハッタリをかましてみますが全く効きません。押し問答を繰り返していると、審査官がおもむろに棚から書類を出して来て、あるページを指し示しながらこれを見てみろとのこと。

そのページにはCountries that need both visa and clearanceという記載があり、国名が並んでいます。

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この国名リストを見ながらページを進んでいくと、

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確かにJAPANの記載がありました。

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確かにこの書類を文字通り理解すれば、日本人はガンビア入国に際してビザとクリアランスの両方が必要ということです。審査官は、これはガンビア政府の公式な文書なのだからクリアランスを提出するか、無ければ3,000ダラシ払えと迫ってきます。ただ、この文書にはクレジットが一切なく、国名表記の大文字と小文字がバラバラだったり、イマイチ信用できません。そもそも、世界的には強いパスポートの一つである日本パスポートが、ソマリアイラク、中国、インド、パキスタンと同等に並んでいるのを信じろというのが無理な話です。

とはいえ、この審査官を突破しないことにはガンビアに入国が出来ません。ここでこちらも戦法を変えて、3,000ダラシも追加で払わないといけないなら今回の入国は諦め、セネガルに戻るからパスポートを返せと言ってみることにしました。

正直ダメ元だったのですが、どういうわけかこの作戦が効果抜群。こちらが諦めるとは思っていなかったのか、帰る素振りを見せると審査官は急に慌て出し、今回は48時間有効のトランジットビザであれば特別に発給すると言い出します。もう少しプッシュすれば通常の観光ビザももらえそうな気もしましたが、今回の滞在予定は48時間あれば足りるため、それで手を打ちました。

ということで、紆余曲折がありつつもビザ代の3,000ダラシだけ払って無事入国完了。国境施設の向かいの商店にはタクシー運転手がタムロしており、 移動手段には困りません。

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乗り合いタクシーもありましたが、入国のやりとりで疲れ切ってしまったため、400ダラシで予約しているセレクンダのホテルまで行ってくれるというチャータータクシーを利用しました。

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国境から1時間ほどでホテルに到着。ビサウを朝早く出発したのが奏功し、ガンビア国境で一悶着あったものの、予定よりかなり早く、13:30には移動完了です。

滞在したホテルは、ファジャラ地区にあるPelican Residence。ビーチリゾートが集まる一帯からは少し離れており、住宅地の中にあるゆったりとした宿です。一泊1,050ダラシでバストイレ付き、部屋も広くオーナーもフレンドリーで、2泊しましたが特に問題はありませんでした。

3日目:ビサウ町歩き

日本出国から35時間で、ようやく今回の西アフリカ3カ国周遊旅行の1カ国目、ギニアビサウの首都ビサウへ到着。事前に依頼していた送迎車でホテルへ直行すると、朝4時過ぎでしたが問題なくチェックインしてもらえました。

今回宿泊したのはHotel Imperio。バックパッカーのアフリカ旅行はテント持参が主流ですが、さすがに社会人の短期弾丸旅行でそれはリスキーなので、ちゃんとしたホテルを予約しました。昨年オープンしたばかりで、ホットシャワー、エアコンに衛星テレビも完備しており、現時点ではビサウで最高レベルのホテル。

宿泊費は一泊90ユーロと先進国と変わりませんが、短期間の旅行で体調を崩したりしては元も子もないので必要な出費と割り切るしかありません。

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久しぶりにベッドでゆっくり横になったあと、昼頃から市内散歩に出かけることに。

ホテルの全景。現時点ではビサウ一の高さの建造物です。

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ホテルの前は街の中心広場。一国の首都とは思えないのどかさです。広場奥に建つのは大統領宮殿。

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まずは腹ごしらえ。本当は現地人の行くようなローカルな市場の食堂で食事をしたいところですが、社会人になるとどうしても保守的になってしまい外国人向けのレストランへ。まさかギニアビサウまで来てプレミアリーグの試合をライブで見られるとは思いませんでした。

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この食事とスプライトの缶で1,000円。とても現地の人々の手が届く価格ではありません。

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お腹を満たしてから散歩再開。

"DESFRUTA DA QUALIDADE DO JAPÃO"と、日本の電化製品が高品質であることはギニアビサウでも認知されているようです。

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ポルトガル語圏ということもあり、この国で存在感が強いのはブラジル。大使館とは別に文化センターも設置されています。東ティモールカーボベルデを訪れた時も感じましたが、ブラジルはこうしたポル語圏の国々に対する支援活動を国策として積極的に行っている印象です。

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この国も他のアフリカ諸国の例に漏れず、写真の撮影にはかなり気をつかいます。政府関係の施設の撮影はもちろん、一般の人々の間でも写真に自身が入り込むのを極端に嫌がる人が他の地域に比べて格段に多いので、人が密集するところではなかなか写真が撮れません。

町市場に行ったのですが、写真を撮るにはこの距離が精一杯。製造業がほぼ皆無なこの国では、売っているのはほとんど全て輸入品でした。

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市内にはスーパーも何店かありますが、地元の人々には手が届かないものばかりで客はほとんどいません。

ここは店主が熱心で、私が店内をウロウロしていると現地人スタッフに指示をしてバスケットを手渡したり、私がチェックした商品のいくつかに値札が貼っていないのを見るとスタッフの怠慢を叱責したりしていました。欧米式のスーパーや値札という文化に触れたことがない現地人を雇ってこれに慣れさせるのは簡単なことではなさそうです。

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それにしても、路上の露店を除くと、この国のビジネスはほとんどが外国人で回っているという印象です。宿泊したホテルはアンゴラ人、昼食で寄ったレストランはポルトガル人、このスーパーはレバノン人、街角のキオスクはモーリタニア人の経営でした。教育水準の低い後発発展途上国では自国民がビジネスに必要なスキルを身につけることが難しく、いつまでも国民が豊かになれないだろうことは容易に想像がつきます。

ぐるっと町を歩いていると港に出ました。ただ、当然港も撮影禁止対象。うっかり撮影しようものなら腐敗警官に難癖をつけられる恐れがあるので、港が写らないように細心の注意を払います。

港入り口にはSNACK - SUSHI & QUICK FOODという看板のレストラン跡がありました。かつてはここで寿司が振る舞われていたのでしょうか。とても考えられないですが。

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同じく港入り口にあった共産主義の匂いを感じさせるモニュメント。独立当初は親ソ連政権だったので、その頃の名残でしょう。

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港からホテルへ戻る途中に大きな教会がありました。もしかしたらホテルが建設されるまではこの教会がビサウ一高い建物だったかもしれません。

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町の中心ですが、ところどころにこうした廃墟があります。こういった建物が残っていると一気に町の景観が損なわれますが、撤去するだけの資金もないということでしょうか。

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ATMでお金を引き出すと、新札が出てきました。ギニアビサウは西アフリカ諸国共通通過のCFA Franc(セーファーフラン、現地ではただ単にフランと呼ばれることがほとんど。)を使用しており、多めに引き出しておいても国境を跨ぐ毎に両替する必要がないので、旅行者にとっては嬉しいところ。レートは1ユーロ = 約656フランで固定されています。

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ちなみに、街中で出回っている紙幣は基本的にこんな感じ。触ると衛生面で不安になるレベルです。

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こんな感じで、半日かけたビサウの町歩きも終了。観光資源が全く無く、ビジネス環境も整備されていないこの国には、世界全カ国制覇を目指す旅行者か援助関係者くらいしか訪れることはないでしょう。日本に居ると全く情報が入ってこない土地をぶらぶらするのは興味深いですが、1日で十分という感じです。

ギニアビサウは早足ですがこれで終わり、翌日はガンビアへと移動します。

 

2日目:ロイヤルエアモロッコ AT583 カサブランカ〜ビサウ エコノミー

カサブランカでのスケジュール上の乗り継ぎ時間は1時間20分。行ったことのない空港ということもあり、このスケジュールで問題なく乗り継ぎが出来るのか予約時は若干不安だったのですが、結果的には無問題でした。

バスでターミナルに降ろされた後、通路を進んで行くと大きな看板で乗り継ぎの案内が出ています。

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この案内に従って進むと保安検査場にたどり着き、そこを抜けるともう出発ゲートです。到着便が重なる時間帯は乗り継ぎ用の保安検査が混み合うらしいのですが、今回は他に到着した便が無かったのか、待つことなくスムーズに通過できました。

出発便一覧を見ると、私が搭乗するビサウ便以外にもダカール、バンジュル、アクラ、コナクリラゴスフリータウンと西アフリカ各地への便が同時間帯に出発予定になっています。

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空港自体はひと昔前の造り。

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無料Wifiのポスターはあるものの、電波を掴むことはできませんでした。

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時間通りに搭乗開始。この時驚いたことに、搭乗時のスタッフによるパスポートチェックが無く、ボーディングパスだけでゲートを通過出来てしまいました。これでは出発ロビーで他人とボーディングパスを交換すれば誰でもノーチェックでこの便に乗れてしまい、保安面で問題になるような気がするのですが。。。

ちなみに、この便の搭乗もバスゲートでした。機体も先ほどと同じくB737-800です。

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オンラインチェックイン時に座席の埋まり具合を事前にチェックすると、前半分はほぼ満席の一方で後ろ半分はほとんど指定されていなかったので、普段は選ばない後方座席を意図的に指定していました。それが結果的には大正解で、前方は混み合っているものの後方はがらがらでエコフラットも余裕。0:50カサブランカ発、3:30ビサウ着という極悪スケジュールのフライトなので、横になれるかどうかは死活問題です。

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前回の便にはありませんでしたが、この便の座席ポケットには機内誌が入っていました。

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どのエアラインに乗った時も機内誌でまずチェックしたいのは就航路線一覧のページ。普段あまり聞かないようなマイナーなエアラインなら尚更です。

こう見ると、西アフリカ各地への路線網は他の追随を許さないレベル。その他にも最新機材のB787でドーハ、ニューヨーク、サンパウロ等の長距離線も飛ばしており、意外と侮れない規模。最近はIAGとの協力関係を強めているようなので、将来的にワンワールドに加盟してもらえればアフリカが一気に行きやすくなります。

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西欧各国(主にフランス)からはモロッコ地方都市への直行便も飛ばしています。マラケシュあたりは観光需要も多いでしょうが、その他の都市は主にモロッコ人移民の帰省用でしょうか。

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水平飛行に入ると同時にエコフラットで横になります。途中クルーから機内食を食べるかの確認で起こされたものの、とてもこんな深夜に食事をする気にもならず、水だけもらって食事はパス。羽田を出てから既に30時間以上経過しフライトも4便目ということで疲労もピークに達し、着陸態勢に入るまで寝続けました。

着陸時、下界の明かりが全く見えずまだ雲の上かと思っていたら、そのままドスンと着陸。雲の上だったのではなく、ただ単に地上に電灯が全くないので真っ暗に見えていただけというアフリカらしいオチ。

ギニアビサウの入国カードは機内では配られず、到着時に空港スタッフから受け取りました。ただ、用意されているのは公用語ポルトガル語以外ではフランス語版のみ。西アフリカに来たことを否が応でも実感させられます。

ビザについては、アライバルで取得可能かどうかイマイチ確証が持てなかったので、今回は事前にオンライン申請をしておきました。オンラインで申請をしてクレジットカード情報を入力すると数分で受付メールが送られて来るので、それを入国時に提示すれば空港でビザを発行してもらえます。ビザ受付のオフィサーに確認したところ、オンライン申請無しのアライバルでも取得可とのことでしたが、オンライン申請の63.95ユーロに比べてアライバルは85ユーロと割高なので、オンライン申請を利用する方がお得ということになります。

空港からは事前に送迎を依頼しておいたホテルの車で市街へ直行しました。

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