Out of Office サラリーマン週末旅行記録

とあるサラリーマンの週末旅行記&搭乗記。2022年より米国在住。

3日目:モンロビア町歩き 廃墟巡り、外国人居住区

到着した翌日は朝から町歩き開始。ダウンタウンのメイン通りであるBroad Streetから歩き始めます。

まずやって来たのは国立博物館の建物と、その前にある不思議なモニュメント。

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1949年に締結されたジュネーヴ諸条約(戦争時に適用される国際人道法)を手に持ちながら差し出している地球と・・・。

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それに向かって手を伸ばす人々という謎の構図。地球も妙にクオリティが低いですし、イマイチ何を訴えかけたいのかよくわかりません。

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土台を見ると国際赤十字のマーク。一応、ジュネーヴ諸条約50年記念で1999年に第一次内戦の終結を記念して建てられた、しっかりとしたもののようです。ただし、このモニュメントの設置も虚しく、リベリア自体は2003年より第二次内戦に突入することになるのですが。

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2度の内戦を経験したリベリアは、西アフリカの中でもトップレベルの世界最貧困国の一つ。他の西アフリカ諸国同様に大した産業も無いため、内戦後も経済は低空飛行を続け、首都の中心部でさえ廃墟が立ち並びます。

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このビルも一見きちんとしているように見えますが、中はがらんどう。内戦前は立派な映画館のような施設だったことが想像されます。

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そんな数ある廃墟の中でもエース級なのが、ダウンタウン西側の丘の上に位置するこの建物。1960年に開業し第一次内戦前の1989年に閉業したインターコンチネンタルグループのホテルの跡です。

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営業時の名称はDucor Hotel。当時はアフリカ全土でも数少ない5つ星ホテルの1つとして優雅さを誇っていたようです。

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この廃墟の特徴は、他と違い中に入れること。ここを訪れる物好きな観光客もそれなりにいるのか、警備員に少しチップを渡せば、ホテルの敷地内を一通り案内してくれます。

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このホテルにはこちらのサイトに在りし日の写真が残っているので、それと見比べてみて頂けると時の流れがより感じられます。(外部サイト

プールの跡。

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ここがロビーとフロント。エレベーターの跡もはっきりとわかります。

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フロント前には螺旋階段が。今にも崩れないか不安になりますが、なんとか持ちこたえています。営業時は手すりもあったようですが、その残骸らしきものが階段奥に山積みになっていました。

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 続いて上階へ。この階段も亀裂が入っており、崩れるのは時間の問題だと思われます。

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客室フロア。既に草が生え、野生に帰り始めています。床には所々穴もあるので要注意。

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217号室。

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部屋の中にも入って見ましたが、意外と狭かった様子。最安カテゴリの部屋だったのかもしれません。

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9階建ての最上階はレストラン跡。

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廃墟でありながら、現在でもモンロビアで最も高さのある建物のため、ここから見るモンロビアの景色は最高です。街全体を一望。

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ホテルから見て北側にあるWest Pointというエリア(下の写真でいうと左奥)にはスラム街が広がります。

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スラム街に近くのは流石に気が引けるので、ここからズームで撮影。浜辺では昼間から若者たちがウロウロしているようです。

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 ホテル跡のすぐ脇にあるのは、リベリアの初代大統領であるジョセフ・ロバーツの銅像リベリアは、アメリカでのリンカーン大統領による奴隷解放宣言に伴い解放された黒人達がアフリカに帰還して建国した、西アフリカで最も古い独立国家です。当然ロバーツ大統領もアメリカ出身。

このような歴史から、リベリアでは建国以来アメリカからの帰還者(Americo-Liberian)のグループが政治・経済の実権を握り、多数派の先住民族を抑圧するという、黒人が黒人を支配する構造が続いていました。これが結果的に先住民族の反感を買い、1980年代に第一次内戦という悲惨な結末をもたらす引き金だったわけです。

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ランチに立ち寄ったのはMama SusuというTripAdvisorで評判の良かったレストラン。シリア出身、リベリア在住歴30年以上のSusuさんが経営する、ダウンタウンでは唯一と思われるまともなレストランです。

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ここは食事が美味しいことはもちろんなのですが、それ以上に訪れるべき理由はオーナーのSusu。30年前のリベリア内戦時代の話から、かつて存在した日本大使館の職員との交流の話、そして今もシリアに住み続ける家族の話まで、豊富な話題で気づけば2時間以上Susuと話し込んでしまいました。殺伐とした雰囲気のモンロビアの中で、まさにオアシスのような場所です。

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Mama Susuでのランチを終えたら、午後は海岸の方へ。モンロビアの南西部は欧米各国の大使館や1泊200ドル以上という高級ホテルが軒を連ねる別世界でした。このエリアに入る道路には検問が敷かれており、貧困層の黒人はほとんど見かけません。

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その近くにある外国人用スーパーには、驚くほど豊富な品物が並んでいます。表示通貨もリベリアドルではなく米ドルで、リベリア人は全く相手にしていない様子でした。

冷蔵輸送すら難しい国にも関わらず、ヨーロッパ産のチーズや生ハムがズラリ。

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日本食材コーナーもあり、こちらも想像以上に充実しています。日本大使館すらないような国ですが、援助関係者等で日本人の滞在者も多いのかもしれません。

ちなみに、赤いきつね緑のたぬきは5.5ドル、キューピーマヨネーズは8.75ドル、とんかつソースは11.5ドルと、値段は日本の倍以上。

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ただし、日清カップヌードルは0.75ドルと随分お手頃でした。パッケージを見ると、日本で販売しているものとは種類が違う海外向けの商品のようですが。

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暗くなる前にはホテルに帰還。あまりに落差のある二面性を持ったモンロビアの町は、1日歩くだけで色々と考えさせられる場所でした。

 

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