ヤムスクロで1泊した後は、再びバスに乗ってアビジャンへ戻り、そこから世界遺産に登録されているグランバッサムの歴史地区へ向かいます。
ヤムスクロのバスターミナルはアビジャンに比べて随分と平穏。チケットも簡単に入手できました。YAKROは現地でのヤムスクロの呼ばれ方、ADJAMEはアビジャンのメインバスターミナルがあるアジャメ地区を指しています。
アビジャンではまずはヨプゴンのバスターミナルに到着。そこでバスを乗り換えて、合計3時間半ほどでアジャメに到着しました。バス各社のターミナルが点在しているだけあり、各地からやって来た人でごった返しており、混沌とした地区です。治安はあまり良くなさそうな雰囲気。
アジャメからはウォロウォロに乗り換え、グランバッサムへ。
ヤムスクロからのバスを降りた近くに停まっていたウォロウォロがグランバッサムへ行くとのことだったのでとりあえず乗りましたが、最終目的地は別の場所でその途中でグランバッサムの近くを通るというだけでした。結局グランバッサムの市街地へと入る手前の交差点で降ろされ、そこからはさらに流しの乗り合いタクシーに乗って、やっと歴史地区へ到着。
歴史地区の入り口には、2016年に発生したアルカイダ系によるテロ攻撃で犠牲になった人の慰霊碑が建っています。
犠牲者は18名。名前を見ると観光客も何名か含まれているようです。ヨーロッパであろうとアフリカであろうと北米であろうと、一度海外旅行に出ればテロの危険と無縁では無いと感じさせられます。
気を取り直して歴史地区の中へ。グランバッサムは今では小さな村ですが19世紀にはフランス領植民地の首都となっていた場所であり、当時の建物が半ば廃墟のような状態で残っています。
管理が行き届いていない建物が目立ちますが、当時の総督府の建物は現在博物館として中に入ることが出来るようになっていました。
MUSEE NATIONAL DU COSTUME (National Museum of Costume)という名前の博物館なだけあり、コートジボワール各地の伝統衣装が展示されています。日本のなまはげを彷彿とさせるようなものも。
衣装だけでなく、国内各地域の伝統的な住宅様式も模型で展示されていました。マリなどで見るような泥造りの建築はコートジボワールでも存在するようです。
植民地時代の記録の展示も。偉そうな白人とこき使われる未開人という、これ以上ないほどのステレオタイプな絵です。それこそ教科書にでも出てきそうな。
展示品も個性的で面白いですが、建物自体も味があって良い雰囲気。それこそ19世紀にタイムスリップしたかのようでした。
総統府のように中に入れる建物はまだ状況が良い方で、建物の大半は廃墟状態。
ウィキペディアにもゴーストタウンのようだと描写されていますが、的確な表現と言わざるをえません。
CFAOとはCompagnie Française de l'Afrique Occidentale(French Company of West Africa)の略。植民地時代にアフリカでの生産品を販売して稼いでいた宗主国の商社のようなものです。この会社は現在でも存続しており、実は豊田通商の子会社になっています。時代の移り変わりでしょう。
こちらは郵便局跡。
階段も骨組みしか残っておらず使えません。
グランバッサムの町並み。車と電柱をどかせば19世紀と言っても十分通じる風景でしょうか。
廃墟以外に目を引くのは、ところどころにある壁画。ロンプラ曰くアートの雰囲気のある町ということですが、あながち間違いでは無いようです。
この町で唯一賑やかな場所と言えば海岸線沿い。海岸への道は露店が並びます。
海岸近くに経つこのホテルEtoile du Sudは2016年のテロ攻撃の標的になった場所です。ここが銃撃の舞台になったとは信じられません。
海岸は現地の若者で一杯。思い思いに楽しんでいるようです。
波はかなり高めで、若者たちも海で泳ぐわけではなく打ち寄せる波から逃げるのを楽しんでいる様子。波が高いのはこの日に限ったことでは無いらしく、ロンプラによると毎年死者が出ているそうです。
グランバッサムは小さい場所で、一周見て回るには2時間ほどあれば十分。
この後は再びバスでアジャメまで戻り、ウォロウォロに乗り換えてヨプゴンのホテルまで帰ります。ヨプゴンと言っても広い地区のでホテルの近くに行くか心配でしたが、無事近くの大通りまでは到達。そこからさらにウォロウォロに乗り継いで無事帰着できました。先日までいたガーナに比べると、フランス語による言語障壁が大きいのがキツいところです。