Out of Office サラリーマン週末旅行記録

とあるサラリーマンの週末旅行記&搭乗記。2022年より米国在住。

2日目:北京街歩き (3) 牛街、抗日戦争紀念館、盧溝橋

天安門からバスに乗って向かったのは牛街。北京で最も大きなウイグル人街です。

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ウイグル自治区は現在では中国の一部ですが、ウイグル民族漢民族よりもトルコ・中央アジア系の民族と文化的に近く、宗教もイスラム教。そのため、ここにはムスリム用のハラル食品を取り扱うスーパーやレストランが揃っています。

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スーパーの入り口もモスク風。イスラム教のシンボルカラーである緑色が全体的に目立つ街並みです。

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積み上がった干しぶどうの山はシルクロードを彷彿させます。

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ラム肉を多く食するのも中央アジア系民族の特徴。脇道に一歩入ると、そこは羊肉の専門店街のようになっていました。

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ワイルドに放置されている羊肉。この雑然とした感じもウイグルらしい風景です。ガラス窓に貼られた"清真"というのはイスラム教の意味。

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当然モスクもあります。中にあった観光客向けの解説板によると、西暦996年に建立された北京最古のモスクだそう。

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建物自体は中華風の建築様式ですが、中を覗くと礼拝用のマットが敷かれており確かにモスクです。

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ムスリムの人たちの憩いの場となっている様子。ノースリーブで来た白人女性の観光客は敷地内への入場を丁重にお断りされていたので、観光地というよりも地元住民向けの宗教施設としての色合いの方が強いようでした。(当然といえば当然ですが。)

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一応、女性向けの礼拝所も別の建物にありましたが、当然中は見られず。

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牛街の入り口にそびえ立つのが地区の雰囲気に似つかわしくない高層ビル。マンションでしょうか。

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上の渡り廊下部分は錆びがひどくてボロボロ。落ちてくるのではないかと心配になるレベル。こういったところに、まだ北京が先進国に追いついていないところを垣間見えてしまいます。

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続いてまたバスに乗り抗日戦争紀念館がある地区へ。牛街からは直通便が無く、六里橋で乗り換えが必要でした。

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抗日戦争紀念館は、宛平城という明の時代に建てられた城塞都市の中にあります。看板が出ているので迷うことはありません。

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宛平城の正門。盧溝橋事件の際の中国軍の拠点だったところでもあります。

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ここの解説板は日本語がありました。歴史的背景もあり、日本人の訪問が多いということでしょう。

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城内には高い建物も無く、保存状態は良い様子。観光地である一方で、今でも通り沿いには住宅には地元住民が暮らし続けています。

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正門から入城してメインストリートを数分歩くと紀念館に到着。入場は無料ですが、まずは右の扉にあるチケット売り場で無料の入場券を受け取った後で、左側の入り口から入場です。

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正式名称は"中国人民抗日戦争紀念館"。平日は愛国教育の一環で訪れる学生の社会科見学が多いようなのですが、この日は週末。それでも家族連れ等の一般客でそれなりに賑わっていました。

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残念ながら内部は写真撮影禁止。中国人観光客のみなさんはそんなの気にせず撮り放題でしたが、さすがに滞在2日ではまだ現地人のように振舞うことには抵抗があります。

パンフレットは日本語版が置いてありました。

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展示は基本的に時系列に沿っており、南京大虐殺等の展示も生々しい写真と共になされていました。当時の大日本帝国が憎き敵役として描かれるのは中国の立場からすれば当然とはいえ、それだけではなく中国の国民党政権についても完全に悪者扱いの前提で展示されているあたりは、愛国教育のための施設と考えれば仕方ないのかもしれませんが、政治的な意図を感じざるをえません。

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紀念館は閉まるのが早く、16時には閉館。展示内容はかなり充実しており、14時半頃に入場したのですがとても1時間半では見終わりませんでした。

続いて、すぐ隣りにある盧溝橋へ。

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日本では盧溝橋というと日中戦争を連想してしまいがちですが、この橋自体はマルコポーロが世界一美しいと讃えたという逸話も残る歴史的な建造物。一時期は舗装されて自動車も通行していたようですが、現在では文化財保護のため一般車の通行は禁止されているので交通インフラとしての役割は終え、入場料を支払って見学する観光地の一つとなっています。

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欄干にはそれぞれの柱に獅子が鎮座。この獅子が盧溝橋の壮麗さを一層引き立てています。

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ちなみに、この獅子は一つ一つ表情が違います。お気に入りを見つけるのも楽しいかも。

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全長数百メートルでしょうか、現代ではこれより長い橋梁はいくらでもありますが、マルコポーロの当時の技術では偉業だったのでしょう。

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ちなみに、盧溝橋近くの河岸に人だかりがあったので立ち寄ってみると。

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なんとダチョウがいました。

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それからキジも。動物園でもないのに、なぜこんなところにいるのかは謎。北京の冬は寒いはずですが、吹きさらしの河川敷でよく冬を越せたものです。

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ホテルのある三里屯に帰還。北京中心部の西側にある盧溝橋から東側にある三里屯までは市街地を横断するような形になり、バスと地下鉄を乗り継いで1時間半ほどかかりました。着いた時にはもう真っ暗。

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三里屯は日本と見間違うかのような街並み。夜でも賑やかです。

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夕飯は清真料理店で蘭州干拌面。22元(=約380円)。やはり清真料理は外しません。

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