Out of Office サラリーマン週末旅行記録

とあるサラリーマンの週末旅行記&搭乗記。2022年より米国在住。

8日目:コナクリ滞在 (1) 市内観光

コナクリで泊まった宿は、町の中心であるカルーム地区にあるResidence Sandervalia。ホテルでは無く、チュニジア人の夫妻が営むアパートメントスタイルの宿でした。このような商業ビルの上階に入っており、ビルのエントランスには警備員もいるのでセキュリティ面でも安心です。

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部屋は簡易キッチンとシャワー付き。この清潔さで朝食も付いて1泊70ユーロは、コナクリではかなりリーズナブルだと思います。

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部屋からの眺めはこんなもの。これでもダウンタウンなので、コナクリの中ではかなり落ち着いた方です。

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朝食はコンチネンタルスタイル。ギニアはこれまで訪れたリベリアシエラレオネと違いフランス語圏の国なので、文化もかなりフランスの影響を受けています。フランスパンやクロワッサンは前の2ヶ国では全く見かけませんでした。

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到着した翌日は、とりあえず町歩き。まずは両替をして現地通貨を入手することから始めます。

カルーム地区のメイン通りには路上両替商が大勢おり、外国人が通ると必ず声をかけてくれるのですが、カモにされるのも心配だったので"CHANGE"の表示がある銀行へ。

ところが、中に入ってスタッフに両替をしたいということを伝えると、少し待っていろと言われ、なんと驚いたことにスタッフは外から路上の両替商を1人連れて来たのでした。銀行のスタッフの目前ということで、両替商も正規レートで両替してくれたので結果オーライだったのですが、色々ツッコミどころのある両替でした。

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現金を手に入れたら、次はSIMカード。前日に空港に着いた時に、既に22:00頃と遅い時間だったせいかSIMカードの販売ブースは閉まっており手に入らなかったのです。

これも同じくカルーム地区にある通信会社Orangeのショップへ。店員は完全にフランス語オンリーでしたが、なんとか無事入手出来ました。日本円にして数百円程度で1GB単位の通信が出来るので、今やローカルSIMは旅の必須アイテムになりました。

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必要な装備を整えたら市内観光開始。とはいえコナクリも他の西アフリカ諸国の首都と同様、ほとんどまともな見所はありません。とりあえずロンプラに載っていた国立博物館へ行ってみました。

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敷地内で目に付くのは、たくさんの彫像。どれもこれも白人がモデルになっているものばかりなので、植民地時代は町のあちこちにあったものを、独立後は目障りになったのでここにまとめただけなのかもしれません。

例えばこれは、フランス植民地となった際の初代総督バレイ。

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こちらも仏領ギニアの歴代総督の1人、ポワレ。農耕を行う黒人の上に立つ白人という構図が印象に残ります。

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こちらは独立後の初代大統領セク・トゥーレ。アフリカ現代史の少し齧ったことがあれば、必ず聞いたことがある名前でしょう。アフリカでもいち早く独立を勝ち取り、当初はガーナのエンクルマと並んでアフリカの英雄でしたが、その後は恐怖政治を行い政敵や一般市民を数多く虐殺したという歴史があります。

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肝心の博物館の展示については、敷地内にいくつも建物はある一方で、現在展示品が置いてあるのは一室のみで、ギニア各地の伝統衣装や儀式で使われる楽器等がいくつか並んでいるだけ。写真撮影は不可でした。入場料は10,000フラン(=約100円)と安いのでまあ良いのですが、無理して入る必要は全くありません(外に置いてある銅像だけなら入場料不要)

維持管理があまりされていないようで、敷地内では鶏が走り回ります。

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これも外に放置されていたニンバと呼ばれる伝統的なマスク。入り口の看板に描かれていたイラストもこれです。

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これで見所はほぼ終わったので、あとはぷらぷら町歩き。

コナクリには警官が多く、目をつけられて呼び止められると、あれやこれやと難癖をつけて賄賂を要求してくるので注意が必要です。私も1度ほど捕まり、パスポートと居住者用のIDカードを見せろと言われました。パスポートはあるがIDカードは旅行者なので持っていないというと、それは問題だと言わんばかりの態度。こちらも毅然とした対応が必要で、最後にはパスポートを警官の手から奪い返してその場を後にしたのですが、こういうことがあると、ただ歩くだけで疲れます。

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ギニアの現在の英雄、ナビ・ケイタ。サッカーが大人気のこの国において、自国の選手がリバプールのようなビッグクラブでプレーしているのは大きな誇りらしく、ケイタを知ってるか?という質問は何度も受けました。

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モスバーガーをパクったかのようなファストフード店。オーナーは中国人でした。

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ここは中国かと見間違うほど、漢字を前面に押し出してくる中華ホテル。

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街中に何軒もある中華系スーパーに入れば、置いてある商品もほぼ全て漢字パッケージの中国製。リベリアシエラレオネに比べてもギニアは一段と中国人のプレゼンスが大きい印象でした。

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欧米駐在員向けのスーパーを経営しているのはだいたいレバノン系。こちらはヨーロッパからの輸入品がズラっと並びます。中華系にしろレバノン系にしろ、地元産品の取り扱いが全くないのは、いかにギニアのローカル産業が未発達かということの証でしょう。

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ムスリム人口が多いギニアですが、レバノン系スーパーはアルコールの取り扱いもあります。フランス文化圏なのでワインが主流ですが、ビールコーナーを見てみるとサッポロビールが置いてありました。

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カルーム地区からバイタクで15分ほど走った先にあるのは、グランドモスク。サハラ以南のアフリカでは最も大きいモスクということで、堂々たる偉容です。ここにはあの初代大統領セク・トゥーレの墓もあるらしいのですが、残念ながらムスリム以外は入れないということで、この距離から建物を眺めるのみでした。

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モスクを眺めていると甲高い警笛が鳴り響き何事かと思いきや、モスクに隣接して線路が敷かれており、そこを貨物列車が通り過ぎるところでした。ギニアに鉄道が整備されているとは知りませんでしたが、後で調べたところ旅客運送はしていないそうです。

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1日目の町歩きはこんなところ。翌日はコナクリ沖にある離島へと向かいます。

7日目:エールフランス AF596 フリータウン〜コナクリ プレミアムエコノミー

フリータウンの町から空港へのアクセスは、なんと海路。世界中の数ある首都空港の中でも、最も市街地からのアクセスが悪い空港に認定しても差し支えないレベルの不便さです。

なぜ海路なのかというと、以下のような立地が原因。どういうわけか、フリータウン半島から湾を挟んだ反対側に空港を造ってしまったのです。ぐるっと迂回すれば陸路で行けないこともありませんが、4~5時間ほどかかってしまうそうなので、実質的には海路しか選択肢が無いことになります。

実は半島側に新たに空港を建設するという話もあり、中国政府からの融資による資金調達で実際に2018年3月に工事が始まったのですが、その後選挙で政権が交代するとチャイナマネーへの過度の依存を危惧した新政権が工事を中止。代わりに湾を跨ぐ橋を架けるという話が現在では出ているそうです。まあ、西アフリカのことですからどれだけ実現可能性があるかは・・・。

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というわけで、フリータウンアバディーン地区にある船会社のターミナルへ。空港とフリータウン間のスピードボートを運営している会社は2社あるようなのですが、オンラインからの予約が可能だったSea Coach Expressを今回は選びました。運賃は片道40ドルと結構なお値段です。

ターミナルはさながら空港のような雰囲気。受付でボートのチェックインを済ませ、大きな荷物も預けます。

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ちなみに、スピードボート2社の他にも、地元民向けにフリータウン東部から空港側へと渡るフェリーが運航されており、そちらの方が格安なのですが、時間が読めないので少なくとも空港へ向かうときはスピードボート1択でしょう。

Sea Coach Expressは出発・到着の各フライトに合わせて運航しているので、フライトを逃す心配はありません。エールフランス便向けのボートは16時発。きちんと定時に出発しました。

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船内も西アフリカとは思えないきちんとした設備で快適そのもの。対岸までは30分ほどの乗船です。

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ビーチに伸びた桟橋から上陸。

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その後、ミニバンに乗り換えて空港ターミナルへ。預けた荷物はボートからミニバンへの積み替えも含めて全てスタッフが行うので、乗客は空港ターミナルに着いたら荷物を受け取るだけです。

空港の周辺は賄賂警官がうじゃうじゃいるので、ターミナルの写真はミニバンの中から撮るのが精一杯。

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ターミナルに入るとまずは荷物をX線に通し、その後にパスポートとe-ticketのチェックを受けたあと、やっとチェックインエリアへ入れます。チェックインカウンターはきちんとSKY PRIORITYの優先レーンが用意されており、今回はプレミアムエコノミーなのでありがたく使わせてもらいました。

エールフランスのこの便は、パリ⇒フリータウンコナクリ⇒パリという三角運航。フリータウンからコナクリは21:05発、21:40着という所要時間35分の超短距離フライトですが、どういうわけか普通に買うとエコノミーで5万円ほどします。ただし、特典航空券だと短距離のため必要マイル数は非常に少なく、Flying Blueではプレエコが6,400マイルで取れたので、迷わず確保。特典発券がかなりお得な路線でした。

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チェックイン後はイミグレと保安検査を抜けて制限エリアへ。ここも警戒していましたが、どちらも賄賂要求は無く簡単に通過出来ました。

今回はプレエコなのでラウンジアクセス権は付いていませんが、驚いたことにこの空港の唯一のラウンジがプライオリティパスで入場可能だったので、迷わずラウンジへ。

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バーのような雰囲気で、席に着くとスタッフがメニューを持って現れ、飲み物のオーダーを取ってくれるスタイルでした。シエラレオネとのお別れなので、最後に再びSTARビールを。

ちなみに、フードはドリンクオーダー時に一緒に持ってきてくれるチップス以外は何もありませんので、あしからず。

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ラウンジで2時間ほど時間を潰し、搭乗開始時刻に。この空港にはボーディングブリッジは無く、優先搭乗者はゲートからバスで機体の下まで連れて行ってもらえますが、一般搭乗の人達は、その後に歩いて機体まで向かっていました。

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機材はA340-300。エールフランスからJOONへとリブランドされた機体ですが、JOONが運航終了しエールフランスに戻された後も塗装が直されていません。

ただし、塗装が治っていないだけで、運航乗務員や機内サービスはもちろんエールフランス基準です。

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プレミアムエコノミークラスのシート。は2-3-2。パリからコナクリへ向かう乗客は機内で待機したままですが、フリータウンで降りた人の座席はきちんとブランケット等が再セットされていました。

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滅多に乗らないプレミアムエコノミーですが、足元は少し広いものの、シートも対して倒れず、ビジネスクラスとは雲泥の差。5~6時間までのデイフライトであればこれでも問題無さそうですが、それ以上の長距離線やナイトフライトの場合は、ビジネスとの間に大きな快適性の違いがありそうです。

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ゲートからゲートで35分なので、離陸から着陸までは20分程度しかありません。当然機内サービスなどあるわけも無く、やったことと言えば機内誌のルートマップチェックくらい。

さすがフランスのフラッグキャリアなだけあり、旧植民地が数多くある西アフリカでは10拠点以上に就航しています。西アフリカで最も存在感のある航空会社と言っても過言では無いでしょう。

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コナクリ空港到着後も、入国審査、税関共に賄賂要求は無し。到着が夜遅いので少し心配だったのですが、ターミナルを出て通路沿いに少し歩いた先(下の看板の"Meeting point"の場所)でホテルのピックアップともスムーズに合流でき、無事空港を後にすることが出来ました。

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6~7日目:フリータウン滞在 (2) タクガマ・チンパンジー保護区

フリータウン2日目の午後は、市街地から離れた山の中にあるタクガマ・チンパンジー保護区(Tacugama Chimpanzee Sanctuary)へ。コンゴタウン地区にある宿からは貸切タクシーで所要時間45分、運賃は80,000レオン(=約900円)でした。

ただし、最後の数百メートルは道の勾配がキツく4WDで無い普通のタクシーは登れないので、その手前まで。

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最後の区間は5分ほど歩いて登ります。

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到着。正確な標高はわかりませんが、それなりに山を登ってきたのでフリータウン市街地に比べると随分涼しく過ごしやすい気温です。

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このチンパンジー保護区には、観光客が泊まれるエコロッジも6棟建てられています。今日はここに1泊するのでまずはチェックイン。

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今回泊まるのは"BRUNO"という名前のついたロッジです。6棟それぞれが少しずつ離れて建っているので、どこに泊まっても自然に囲まれた静かな環境が保証されています。

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部屋は蚊帳付きのベッドが1台と、トイレ、水シャワーという設備。冷房はありませんが、前述の通りこのエリアは気温も随分涼しく過ごしやすいので問題無し。むしろ朝晩は半袖のみだと少し寒いほどでした。1泊900,000レオン(=約10,000円)と安くはありませんが、フリータウンに滞在するならぜひ1泊はしたい場所です。

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こちらが宿泊者用の食堂。朝食・昼食・夕食はそれぞれ前日までの事前予約制で、好きな時刻を指定してここで食べることになります。

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このチンパンジー保護区では、1日に2回(午前と午後)、訪問客向けのツアーを実施しています。通常は参加費150,000レオン(=約1,700円)ですが、エコロッジの宿泊客は無料です。私も午後のツアーに参加しました。

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ツアーは1時間ほど。まずはチンパンジーの生態の説明から始まります。チンパンジーはサルではなくGreat Apes(ヒト科)に属する生物であること、遺伝子のうち98.6%は人間と類似していること、多種多様な道具を使うこと等、一般的な"サル"とは違うということに力点を置いた説明でした。

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保護区に運ばれてきたチンパンジーがまず収容される検疫エリア。保護区に運び込まれるチンパンジーの大半は人間がペットとして飼っていたものだそうですが、病気が保護区内の他のチンパンジーに広がるのを防ぐため、最低でも3ヶ月はこの検疫エリアで過ごします。

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その後は、チンパンジーの年齢、性別、性格等を考慮して、それぞれ仕切られた区画で他のチンパンジーと集団生活を送ります。

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将来的には野生に戻すため、エサを自力で探すための細い穴など工夫が凝らされた仕掛けが用意されていました。以前インドネシアで訪れたオランウータン保護施設でも同じような取り組みが為されていた気がします。

相手の毛づくろいをして寛ぐチンパンジー。人間と同じく集団生活をするチンパンジーにとって、集団内での円滑なコミュニケーションも人間と同じように重要なのです。

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表情が豊かなのも人間と同じ。ここで働くスタッフ達であれば、表情と声音でチンパンジーが何を言いたいかはだいたい把握出来るとのことでした。

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群れの和を乱すような乱暴な行動をするチンパンジーが現れた際の隔離小屋。この日も1頭がこの小屋に入れられていましたが、人間の姿を見るとこれでもかと言うほどの大声で威嚇をしてきました。

チンパンジーは1頭で人間5人分の力があるということなので、彼らに襲われたら人間はひとたまりもありません。この保護区に連れてこられる元々ペットだったチンパンジーも、飼い始めの小さい頃は愛らしかったものの成長するにつれて手に負えなくなったというケースが多いそうです。

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このチンパンジー、名前は失念しましたが、かつてシエラレオネ現大統領にペットとして飼われていたのだそう。つい最近まで、シエラレオネではチンパンジーをペットとして飼うのがごく普通だっだそうです。(現在では違法になっています。)

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また、西アフリカでは伝統的にチンパンジーを食べる風習があるそう。チンパンジーの狩猟ももちろん現在は違法ですが、やはり密猟は現在でも続いているそうです。

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そうした文化・風習を変えるには子供への教育が重要。地元の小学生の団体訪問を受け入れ、正しい知識を教え込むのもこの施設な大事な役割の一つなのでした。

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夕飯はチキンとアフリカ風のシチュー。ここでの食事は今回の西アフリカ旅行の中でも、一・二を争うほどの美味しいものでした。

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虫の音とチンパンジーの咆哮を聴きながら心地よい一晩を過ごした翌日は、保護区周辺をトレッキング。まずは保護区の裏にあるダム湖に出て、その奥に見えるガボン山(Mount Gabon)を目指します。

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保護区内のトレイルは1人で歩くことは禁止されているため、ジーンズ履きのガイドと一緒に。道のりはそれなりの急登が多く、登りがいのあるコースです。

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巨大な蟻塚。

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途中、レンジャー訓練所の横も通ります。保護区の周辺でもチンパンジーやその他野生動物の密猟を行う現地住民が絶えないため、ここでトレーニングを積んだレンジャーが日々周辺をパトロールしているのだそうです。

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45分ほどで山頂に到着。山頂と言っても、木が生い茂っており眺望はほとんどありませんでした。

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唯一見えたのはこの程度。手前側は保護区のため開発が禁止されており森林が護られていますが、奥側は10年前までは同様に森林に覆われていたものの、人口爆発による都市の拡大で今やこのような風景になってしまったとのことでした。

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ロッジに戻りランチを終えたらここでの滞在も終わり。最後に、レセプションでアレンジしたタクシーが来ないというハプニングがありましたが、偶然他の観光客を連れて来て下ろしたばかりのタクシーに遭遇し、それを捕まえて無事フリータウンへと戻ることが出来ました。

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5~6日目:フリータウン滞在 (1) 市内観光

フリータウンに到着した日は、午後にラムリービーチ(Lumley Beach)へ。

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市街地の西側に、全長4kmに連なる広いビーチ。フリータウン市民の憩いの場なのでしょう。シエラレオネを舞台としたハリウッド映画『ブラッド・ダイヤモンド』で出てくる海辺のバーも、多分ここがモデルだと思われます。

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ただし、砂浜にゴミが散乱しているのは残念。フリータウン半島の南部にはここよりも美しい秘境ビーチがいくつもあるらしいので、本格的にビーチを楽しみたいのであればそちらに行くのがベターでしょう。

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ビーチの向かいには中国人経営のホテル兼カジノも。やはりアフリカでの中国人のプレゼンスは目を見張るものがあります。

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続いて半島の先端部にある灯台へ。ここまでの道は標識も無くわかりづらいですが、Google Mapを頼りにたどり着きました。

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特に何があるわけでもありませんが、ラムリービーチに比べて人も少なく、海で漁をする漁師を眺めたりしながらゆっくりするには最適の場所。

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町中で見かけた壁画。こういう汚職撲滅系の看板があるのは、日常的に汚職があることの裏返しでしょう。

Individual gain but the country loses、というのも正にその通りで、賄賂要求等の日常的な腐敗によって、旅行者によるシエラレオネの印象が悪くなっているのは間違いないと思います。

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路上で見かけた通信会社の広告。携帯のデータ通信料金ですが、単位の小ささに驚き。12MBなんてスマホであれば一瞬で無くなってしまうレベルですが、まだ大多数が旧型の携帯電話を使っているシエラレオネにおいては、この程度で済んでしまう通信量なのでしょうか。

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この日は大晦日。宿の近くにあるスタジアムではコンサートでもやっているのか深夜まで大音量でしたが、さすがに夜のフリータウンを出歩くのは怖いので、1人で部屋で年越し。お供はローカルビールSTARでした。

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翌日の元旦は、トゥクトゥクに乗ってダウンタウンへ。

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その中心にあるのが、このコットンツリー(Cotton Tree)という大木。1787年にイギリスからの解放奴隷が上陸した際にこの木陰で身を休めたという、シエラレオネの歴史においては大きな意味を持つ木です。10年以上続いた内戦をも無事生き延びています。

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遠くから見ると立派で美しいですが、近づいてみると周囲は鳥のフンだらけ。ちょうど良い住処なのでしょうが、この下を歩くときは頭上に要注意です。

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内戦時に荒廃し尽くしたと言われる中心部も、今や平和そのもの。元旦の朝ということで人通りも少なめです。

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起伏の多いフリータウンでは、このように斜面に沿って家屋が並び立ちます。この谷底のあたりは少しスラムっぽい様相。全裸の男性がフラフラと歩いていたり、あまり近寄りたく無い雰囲気を醸し出していました。

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昼前に宿に戻りチェックアウト。そのままタクシーを手配してもらい、フリータウン半島の山間部にあるチンパンジー保護施設へと向かいます。

4~5日目:リベリア〜シエラレオネ 陸路国境越え

モンロビアを1日観光した翌日は、この地を離れて隣国のシエラレオネまで陸路移動。リベリアシエラレオネは共に警官等の公務員が腐敗していることで有名であり、このルートも旅行者の間では"賄賂街道"と呼ばれるほど。なかなかハードルの高そうな行程になりそうです。

目指す目的地は、520km離れたシエラレオネの首都フリータウン。インターネット上の情報では基本的に1日で到達するのは難しいというものが大半なのですが、直近では道路の舗装状況が良くなり所要時間も短くなったという話も聞くので、朝早く出発し行けるところまで行ってみることにします。

ということで、夜が明けると同時に行動開始。赤道に近い割には以外と日の出が遅く、宿を出たのは6:30頃。まずはシェアタクシー乗り場のあるドゥアラ地区へと向かいます。 

ダウンタウンからドゥアラ地区への乗り合いトゥクトゥクが出発するのはBroad Streetと北へ向かうメインストリートの交差点沿いのこの辺り。運賃は100リベリアドル(=約50円)でした。

トゥクトゥクは3人乗りですが、既に2人の先客が乗っていたのですぐに出発。街の風景をiPhoneのカメラで撮影していたら、同乗者のおばちゃんから「ドゥアラ地区は危険だから、そのスマホは到着する前に隠すように」とありがたい助言を頂きました。

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15分ほどでドゥアラ地区のシェアタクシー乗り場へ到着。乗り場と言っても別にバスターミナルのような建物があるわけでも無く、道の脇に各方面へのシェアタクシーが並んでいるだけです。かなり雑然とした様子で、おばちゃんが治安が良くないと言っていたのも納得。あまり長居したい雰囲気の場所ではありません。

幸い、トゥクトゥクのドライバーが国境行きのシェアタクシーの正面で降ろしてくれたので、厄介な客引きに捕まることも無く済みました。特に目印はありせんが、国境行きが発着するのはこの辺り。

アフリカのシェアタクシーには時刻表など存在せず、満席になったら出発というスタイルが普通。この区間は普通の8人乗りセダン(助手席2人、2列目3人、3列目3人。西アフリカでは典型的な詰め込み型。)でしたが、既に大半の乗客が揃っていたため待ち時間もほとんどなく、7:15には出発となりました。運賃は1,500リベリアドル(=約750円)。

私の座席は助手席の内側。狭いのは耐えるしかありませんが、前方の眺めが良いのは助かります。

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モンロビアから国境は全区間舗装されており快適。途中2度ほど検問に捕まりましたが、特に賄賂を要求されることも無くスムーズに通過出来ました。助手席にもう1人乗っていたのが、国境へと向かう出入国審査官だったこともスムーズだった一因かもしれません。

9時過ぎ、モンロビアを出て2時間弱で国境の村、ボー・ウォーターサイド(Bo Waterside)に到着しました。130kmの道のりを2時間で走ったことになり、ここまでは完璧すぎるほどスムーズです。

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そのまま歩いてリベリアのイミグレオフィスへ向かいます。出国スタンプをもらおうとオフィサーにパスポートを渡すと「シエラレオネのビザは?」と訊かれたので、国境でアライバルビザを取得すると回答。

ここでオフィサーの顔が曇り、なにやら他の同僚と相談。こちらは賄賂の要求が出てくるかと身構えます。

そして言われたことは、「日本人にシエラレオネのアライバルビザが発給されるかここではわからない。あなたのリベリアビザはシングルエントリーなので、もしシエラレオネ側でビザが発給されないと、リベリアに再入国することも出来ずに困った状況になる。それを避けるため、今からシエラレオネ側のイミグレオフィスへ確認しに行くので、ここで待っているように。」とのこと。

この国境から出国する人は全員シエラレオネに向かうはずなのに、シエラレオネ側のアライバルビザの対象国も把握していないとはお粗末な気もしますが、とりあえず賄賂要求は無かったので安心。その後15分ほどでオフィサーがシエラレオネ側から戻り、確認が取れたということで無事スタンプを押してもらえました。

その後は別の部屋に連れて行かれ、リベリアでの滞在先等を申告したら無事解放。まずリベリア側の国境は問題なくクリアです。

国境はマノ川(Mano River)に架かる橋。やはり徒歩での国境越えはテンションが上がります。それが難易度の高い西アフリカであれば尚更。

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続いてシエラレオネ側のイミグレオフィス。アライバルビザを取得したいというと、先ほどのリベリア側のオフィサーからの事前の話があったせいか、スムーズにビザ発給となりました。価格は事前リサーチでは80ドルでしたが、国境では現地通貨払いのみということで800,000レオン(=約9,000円)。米ドルから両替すると85ドルほどかかってしまい少し割高ですが、まあ許容範囲です。領収書発行に20分ほど待たされましたが、賄賂要求等は一切無し。

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ちなみに、このシエラレオネ側の国境はつい最近まで有名な賄賂要求の温床でした。

その手口とは、シエラレオネ入国にはイエローカード(黄熱病予防接種証明書)の提示が必要なのですが、それに加えてコレラ髄膜炎の予防接種証明も必要だとでっち上げ、証明書を持っていない旅行者から賄賂(50ドル程度)を要求するもの。

インターネット上でも有名なやり口だったのですが、昨年夏にこの腐敗に遭遇したアメリカ人旅行者が一連の出来事をYouTubeにアップすると、その動画を目にしたシエラレオネ汚職防止委員会(ACC:Anti-Corruption Comission)が、アフリカらしからぬ迅速な行動で該当する国境職員を逮捕。それ以来ここの国境の腐敗状況はかなり改善したようで、私が通過したのは丁度良いタイミングだったわけです。

シエラレオネ側のイミグレオフィスを出たのは10:30。リベリア側と合わせ、1時間半で国境手続きを全て終えることが出来ました。

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国境から一本道を1kmほど歩き、シエラレオネ側の国境の村であるジェンデマ(Jendema)に到着。シェアタクシー乗り場はこの辺りです。この周辺にSIMカードを売る露店や両替商など、旅行者に必要なものはだいたい揃っていました。

フリータウンまで直で行くシェアタクシーもあるにはありましたが、人の集まりが悪そうだったので、ひとまずシエラレオネ東部の中心都市であるボー(Bo)まで行くシェアタクシーのチケットを入手。運賃は75,000レオン(=約850円)。

ここで社会人トラベラーならではの裏技発動。実は、こうしたシェアタクシーは1人で2人分の料金を払うことで、2人で座るはずの助手席を丸々1人で確保出来るのです。学生の頃は1円でも安く済まそうとこんなことはしていませんでしたが、当時よりは懐に余裕のある社会人ならではの選択です。ここから先は悪路との評判のため、更に75,000レオンを追加で支払い、助手席を独り占め出来ることに。

ちなみに、私が2人分購入すればその分だけ満席になるのも早くなり、ドライバーも早く出発できお互いにwin-winなのだから、少し値下げしてくれよとも思うのですが、そうした論理は全く通用せず、定価の2倍を払わなければいけません。西アフリカでは"時は金なり"では無いのです。

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ここではなかなか人が集まらず、1時間ほど待って11:30に出発。

ジェンデマから先の道は、想定通り舗装されておらずこのような状態でした。スピードは出せても時速30km程度といったところです。今は乾季なのでまだマシですが、雨季は路面状態も更に悪くなりもっと時間がかかることは確実。

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エンジントラブルで途中休憩。車を限界まで酷使するアフリカでは、こうしたストップも織り込んでスケジュールを立てないと痛い目に遭います。

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途中すれ違う車は、これでもかというほどの物資を運搬していました。乗用車の屋根の積載重量は何kgなのでしょう。

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ただし、ところどころ舗装に向けた工事は始まっている模様。あと1~2年で、ここもまともな道になることを期待します。

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途中、ジンミ(Zimmi)の村を通過したのが13:00頃。ジェンデマからジンミの区間には検問が無かったにも関わらず、45kmを通過するのに1時間半も掛かりました。

ジンミから先は舗装道路が完成しており快適。

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ジンミを出てしばらく進んだ先に流れるモア川(Moa River)。ここも元来は橋が無く、渡し船に車ごと乗せて渡らなければならなかったのですが、EUの支援で建設された橋が昨年完成し、かなりの時間短縮になったとのことです。同乗者の地元民も橋を渡るときはかなり興奮していたので、本当に完成して間も無いのかもしれません。

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ボーまでの間に検問は3ヶ所ほど。そのうち1ヶ所では乗客全員が車を降ろされ身分証明証チェックを受けさせられましたが、賄賂要求は無し。

ただし、外国人はパスポートを見せるだけですぐに済んだのですが、自国民に対してはオフィサーが身分証を隅から隅まで粗探しをして難癖をつけようとしていたらしく、検問通過後の車内では乗客同士が警官の悪口で意気投合していました。

彼ら曰く、自国民に対しても警官による難癖からの賄賂要求は日常茶飯事だとのこと。やはり相当根深い問題のようです。

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15:00頃、ボーの街に到着。ジンミからボーは110kmほどありますが、検問を含めても2時間ほどの所要時間だったことになります。この区間はずっと舗装道路で快適だったので、ハードモードだったのは実質最初の1時間半のみでした。

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ボーで降ろされたのはこの辺り。逆にボーからリベリア国境に向かう際も、シェアタクシーはここから出発するはずです。

ボーからフリータウンは3~4時間ほどかかるらしいので、頑張ればこの日のうちに行けないこともないのですが、暗くなってからフリータウンに着くのは少し不安なので、この日はボーで1泊することに。街唯一のまともなホテルである、Dohas Hotelに宿泊しました。シェアタクシー乗り場からは、バイタクで3,000レオン(=約30円)。

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朝食付きで1泊540,000レオン(=約6,000円)。部屋にはエアコン、テレビ、蚊帳、冷蔵庫が備えられていました。街から少し離れているので、この晩は部屋でゆっくり過ごします。

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 そして翌日。ホテルのレセプションでフリータウン行きのシェアタクシーはどこで乗れるのか?と訊くと、"New London"との答え。どうやらその名前の地区から出発するようですが、Google Mapで見ても全く引っかかりません。

ホテル前でバイタクを捕まえ、運転手にフリータウンに行きたいというと、それならNew Londonと同じことを言うので、どこだかわかりませんがNew Londonまで連れて行ってもらうことに。

結果、以下の場所がフリータウン行きのシェアタクシーの発着所でした。

バイタクを降りるや、客引き同士の争奪戦。ボロい車から比較的まともな車までピンキリなので、しっかりと吟味します。また、乗客の埋まり具合や、昨日味を占めた助手席が空いているかどうかも要チェック。

結果、今回はそれなりに新しいハイエースの助手席をゲット。40,000レオン×2人分で80,000レオン(=約900円)です。

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ボーとフリータウンを結ぶ道はシエラレオネの大動脈。15分ほどで座席も埋まり、9:00頃に無事出発しました。

座席前の窓ガラスに貼られた国旗はイギリス、シエラレオネアメリカ。英国系の旧植民地ということでイギリスには親近感があるようですし、世界の大国アメリカはやはりアフリカでは大人気です。

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道中に見える民家は本当に簡素なもの。電気・水道・ガスは当然まだでしょうし、下手したら100年前とほとんど変わらないでは無いか?と思ってしまうほど。

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首都フリータウンは、大西洋に突き出るフリータウン半島の先端部にありますが、その半島の付け根にあるのがウォータールー(Waterloo)の町。ブレー(Bureh)やリバーナンバー2(River No 2)等のビーチへ向かう場合は、ここで乗り換えです。12:00頃に通過しました。

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ウォータールーからフリータウンまではずっと市街地。途中で少しずつ乗客を降ろしながら進みます。私が泊まる宿はかなり半島の先端の方なのですが、そこまではシェアタクシーは行かないということで、ドライバーにタクシーを捕まえてもらい、それに乗り換えて移動。

これが首都フリータウンモンロビアに比べると一段と規模が大きい印象です。

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フリータウンの中でも、コンゴタウン(Congo Town)というエリアにある宿Jam Lodgeに着いたのは13:30。これにて1日半に亘る陸路移動も無事完結です。

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宿代の高いフリータウンにおいて、テレビ、冷房、温水シャワー、朝食付きで1泊67.5ドル(=約7,000円)は破格。Booking.comでの評価が高いのも納得の宿でした。

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3日目:モンロビア町歩き 廃墟巡り、外国人居住区

到着した翌日は朝から町歩き開始。ダウンタウンのメイン通りであるBroad Streetから歩き始めます。

まずやって来たのは国立博物館の建物と、その前にある不思議なモニュメント。

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1949年に締結されたジュネーヴ諸条約(戦争時に適用される国際人道法)を手に持ちながら差し出している地球と・・・。

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それに向かって手を伸ばす人々という謎の構図。地球も妙にクオリティが低いですし、イマイチ何を訴えかけたいのかよくわかりません。

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土台を見ると国際赤十字のマーク。一応、ジュネーヴ諸条約50年記念で1999年に第一次内戦の終結を記念して建てられた、しっかりとしたもののようです。ただし、このモニュメントの設置も虚しく、リベリア自体は2003年より第二次内戦に突入することになるのですが。

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2度の内戦を経験したリベリアは、西アフリカの中でもトップレベルの世界最貧困国の一つ。他の西アフリカ諸国同様に大した産業も無いため、内戦後も経済は低空飛行を続け、首都の中心部でさえ廃墟が立ち並びます。

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このビルも一見きちんとしているように見えますが、中はがらんどう。内戦前は立派な映画館のような施設だったことが想像されます。

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そんな数ある廃墟の中でもエース級なのが、ダウンタウン西側の丘の上に位置するこの建物。1960年に開業し第一次内戦前の1989年に閉業したインターコンチネンタルグループのホテルの跡です。

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営業時の名称はDucor Hotel。当時はアフリカ全土でも数少ない5つ星ホテルの1つとして優雅さを誇っていたようです。

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この廃墟の特徴は、他と違い中に入れること。ここを訪れる物好きな観光客もそれなりにいるのか、警備員に少しチップを渡せば、ホテルの敷地内を一通り案内してくれます。

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このホテルにはこちらのサイトに在りし日の写真が残っているので、それと見比べてみて頂けると時の流れがより感じられます。(外部サイト

プールの跡。

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ここがロビーとフロント。エレベーターの跡もはっきりとわかります。

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フロント前には螺旋階段が。今にも崩れないか不安になりますが、なんとか持ちこたえています。営業時は手すりもあったようですが、その残骸らしきものが階段奥に山積みになっていました。

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 続いて上階へ。この階段も亀裂が入っており、崩れるのは時間の問題だと思われます。

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客室フロア。既に草が生え、野生に帰り始めています。床には所々穴もあるので要注意。

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217号室。

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部屋の中にも入って見ましたが、意外と狭かった様子。最安カテゴリの部屋だったのかもしれません。

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9階建ての最上階はレストラン跡。

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廃墟でありながら、現在でもモンロビアで最も高さのある建物のため、ここから見るモンロビアの景色は最高です。街全体を一望。

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ホテルから見て北側にあるWest Pointというエリア(下の写真でいうと左奥)にはスラム街が広がります。

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スラム街に近くのは流石に気が引けるので、ここからズームで撮影。浜辺では昼間から若者たちがウロウロしているようです。

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 ホテル跡のすぐ脇にあるのは、リベリアの初代大統領であるジョセフ・ロバーツの銅像リベリアは、アメリカでのリンカーン大統領による奴隷解放宣言に伴い解放された黒人達がアフリカに帰還して建国した、西アフリカで最も古い独立国家です。当然ロバーツ大統領もアメリカ出身。

このような歴史から、リベリアでは建国以来アメリカからの帰還者(Americo-Liberian)のグループが政治・経済の実権を握り、多数派の先住民族を抑圧するという、黒人が黒人を支配する構造が続いていました。これが結果的に先住民族の反感を買い、1980年代に第一次内戦という悲惨な結末をもたらす引き金だったわけです。

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ランチに立ち寄ったのはMama SusuというTripAdvisorで評判の良かったレストラン。シリア出身、リベリア在住歴30年以上のSusuさんが経営する、ダウンタウンでは唯一と思われるまともなレストランです。

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ここは食事が美味しいことはもちろんなのですが、それ以上に訪れるべき理由はオーナーのSusu。30年前のリベリア内戦時代の話から、かつて存在した日本大使館の職員との交流の話、そして今もシリアに住み続ける家族の話まで、豊富な話題で気づけば2時間以上Susuと話し込んでしまいました。殺伐とした雰囲気のモンロビアの中で、まさにオアシスのような場所です。

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Mama Susuでのランチを終えたら、午後は海岸の方へ。モンロビアの南西部は欧米各国の大使館や1泊200ドル以上という高級ホテルが軒を連ねる別世界でした。このエリアに入る道路には検問が敷かれており、貧困層の黒人はほとんど見かけません。

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その近くにある外国人用スーパーには、驚くほど豊富な品物が並んでいます。表示通貨もリベリアドルではなく米ドルで、リベリア人は全く相手にしていない様子でした。

冷蔵輸送すら難しい国にも関わらず、ヨーロッパ産のチーズや生ハムがズラリ。

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日本食材コーナーもあり、こちらも想像以上に充実しています。日本大使館すらないような国ですが、援助関係者等で日本人の滞在者も多いのかもしれません。

ちなみに、赤いきつね緑のたぬきは5.5ドル、キューピーマヨネーズは8.75ドル、とんかつソースは11.5ドルと、値段は日本の倍以上。

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ただし、日清カップヌードルは0.75ドルと随分お手頃でした。パッケージを見ると、日本で販売しているものとは種類が違う海外向けの商品のようですが。

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暗くなる前にはホテルに帰還。あまりに落差のある二面性を持ったモンロビアの町は、1日歩くだけで色々と考えさせられる場所でした。

 

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2日目:ASKY航空 KP20 アクラ〜モンロビア エコノミー

エチオピア航空で到着後、ガーナには入国せずに制限エリアで国際線乗り継ぎ。アクラの空港はアフリカにしては珍しく、一見きちんとした乗り継ぎ用のカウンターが用意されています。

ビジネスクラスの優先降機のおかげで1番にカウンターに向かうと、スタッフから「そこに座って待っているように」と言われカウンター前のベンチで待機。その後にやって来る乗客は、どんどんボーディングパスを受け取って出発フロアへと進んでいきます。

エチオピア航空からASKY航空への乗り継ぎ客は多い(20人以上はいました。)のですが、どうやら通しで航空券を買った乗客のボーディングパスしか用意していない模様。私は彼ら全員へのボーディングパスの受け取りが終わった後にやっと手続きをしてもらえました。

ここのカウンター、しっかりしているように見えて実はチェックインシステムにアクセス出来るパソコンは無い様子。スタッフにパスポートを渡すと、彼女が制限エリア外のチェックインカウンターまで行って代理で手続きをしてくれるという流れなのでした。予め乗り継ぎ客として登録されている通しの乗客以外は、手続きに少し時間がかかると思った方が良さそうです。まあ、アクラで国際線乗り継ぎをする人など相当な物好きしかいないと思いますが。

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パスポートを渡したスタッフは10分ほどでボーディングパスを手に戻って来て、私も乗り継ぎ手続き終了。なぜかアサインされた座席は事前指定していた11Aとは全く違う31Dという番号でしたが、またこのスタッフにカウンターまで足を運ばせるのも申し訳なかったので、とりあえずそこは触れずに受け取りました。

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そのままカウンター右の扉から上階に移動すると、保安検査を通り抜けて出発ゲート前です。

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1年ちょっと前に利用した時は新ターミナルがオープンしたばかりで商業テナントはほぼガラガラだったのですが、今では一応ショップは埋まりました。

ラウンジは相変わらずシャビーな裏通路からのアクセス。

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前回も使ったADINKRA Loungeに再び。今回はエコノミークラス搭乗なので、プライオリティパス利用での入場です。

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フード類の貧弱さは相変わらず。

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冷蔵庫の中は、サラダなど少し種類が増えました。ただし、ここの生野菜がどれだけ信頼できるかは・・・。

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遅延上等の西アフリカ域内線ですが、搭乗機材は予定通りにゲートに姿を現しました。ASKYのハブであるトーゴのロメ空港を出発し、アクラ、モンロビアを経由してガンビアバンジュールまで行く、アフリカでよく見る各駅停車便です。

機材はASKYが所有している中では最大のB737-800。

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搭乗。モノクラスかと思いきや、ビジネスクラスの設定もある機材でした。ビジネスに座っていたのはどこかの国のお偉方と思われる貫禄のある黒人男性1名のみ。

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エコノミーのシートも、なかなかのくたびれた感。個人モニターもありますが、画面は真っ暗で全く作動しません。

レジ番から調べたところ、2009年就航でインドのジェットエアウェイズに納入され、ジェットエアウェイズの破産後にASKYが引き取ったという経歴のようでした。まだ10年選手ですが、これだけ摩耗しているのはやはりインド人の物使いの荒さ故でしょうか。

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ちなみに、なんと搭乗券に書かれた31Dという座席は存在すらせず。通路左側はA・B・C、右側はH・K・Lという配置だったのです。機内では混乱する乗客が続出でしたが、結局D→H、E→K、F→Lと読み替えて着席。幸い隣2席には誰も来ず、ドアクローズ後は窓側の席に移ることが出来ました。

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アクラ市街上空を旋回しながら上昇。全体的に曇ったように見えるのは、アクラにスモッグがかかっているというわけではなく、ASKYの窓掃除がほとんど為されていないからです。

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離陸後は機内誌にでも目を通します。タイトルは"CALEBASSE"(英:Calabash、日:ひょうたん)。随分不思議なネーミングです。

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やはり気になるのは路線図。トーゴのロメをハブとしていますが、経由便が多いので西アフリカ内では網の目のような路線網を構築できています。

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そして機材構成。B737-800、B737-700NG、Bombardier Dash 8の3種類。B738の座席数の記載が英語とフランス語で違うあたりにアフリカらしい詰めの甘さが出ています。

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2時間弱のフライトなので、機内食もきちんと配られました。Fish or Chickenというベーシックな選択からChickenをチョイス。

ちなみに、前の列に座っていた中国人が全く英語を解さないらしく、Fish or Chickenさえ理解出来ていなかったのですが、クルーが私に対して通訳をしろと言わんばかりの目で見てくるのには困りました。私も中国語はサッパリなのでお役には立てず。

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モンロビアに到着。定刻で優秀です。

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この空港、中国政府の融資を元手に中国企業の施工で2019年に新ターミナルがオープンしたばかりなのですが、工事が杜撰だったのか、開業して数ヶ月でボーディングブリッジが動かない、エレベーターが崩落すると言った不具合が立て続けに発生しているお笑い空港として有名。その話は本当だったらしく、当便もボーディングブリッジが空いているにも関わらず沖留めとなりました。

賄賂大国なので空港では写真も撮らずに目立たないようにしていたのがよかったのか、入国審査でも賄賂要求は無くあっさり通過。荷物受取場の先はすぐ外に出る流れになっているので、外に出た先でSIMカードを購入し、事前にアレンジしていた送迎と合流して市内へ向かいました。

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モンロビアの空港は、なぜ土地が有り余っているのにこんなに遠くに建設したのかと、リベリア役人を呪いたくなるほどの不便な立地。市街中心部までは60kmも離れており、幸い道路は舗装されているとはいえ、車で1時間はかかります。

途中賑やかな市場等も通ったのですが、3フライトを乗り継いだ疲労もピークに達しており、寝落ちしないようにするので必死でした。

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